資料区分 古文書
請求番号 P8108
文書群名 清水てつ家文書
伝存地 藤岡市保美
出所 藤岡市 清水てつ家
地名 緑野郡保美村/緑埜郡保美村/第十五大区第七小区/緑埜郡美九里村/多野郡美九里村/藤岡市保美
旧支配 旗本領(三給:依田氏・加藤氏・伊東氏)/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
役職等 緑埜郡保美村(三給のうち依田氏給地分)名主、保美村戸長役場副戸長、神田村など2ヵ村用掛、矢場村連合用掛、美久里村第9区長、同村村会議員など
歴史 清水家は、保美村に古くから居住したもののようであるが、なお詳細を明らかにするに至っていない。清水家の享保6年で5反4畝25歩、文政6年で2町4反6畝余の規模で、すべて屋敷畑、畑、山畑である。家業としては、農業のほか質物をとり利賃金融も行っていた。質や営業の内容は、衣類を中心に繭などを交えた質物をとる比較的小規模の貸出が多いように見受けられ、典型的な村内の質屋金融であったと考えられる。このほか、幕末から明治期にかけて水車稼業を営み、一時は保美村と浄法寺村の二箇所に水車を所有していたようである。また、明治期には桑苗、蚕種販売、刻み煙草製造を行っていたようである。公的な役職として、江戸時代には緑埜村保美村の名主を務め、名主の肩書きは宝暦・安永期に見出され、寛政期から幕末まで継続的に務めているとみられる。
伝来 緑野郡保美村の清水家に伝来した文書群。
数量 4490
年代 慶長2年(1597)~昭和18年(1943)*閲覧公開分
構造と内容 本文書は、大筋では一般的な地方文書である。ただし、宗門人別帳のように原則として毎年作成される文書でも数冊のみで、しかも保美村のものは幕末期の2点のみである。これに比べ、人別送り・引取状は文政期から慶応期までよく残されている。本文書の中では、領主である旗本依田氏の天保・弘化期にわたる勝手向き賄い方関係文書が注目される。また、旗本三給で他村の名主も兼帯であったためか他村の文書も若干混在する(矢場村宗門人別帳など)。明治期以降の戸長役場文書は用掛ほかの役職を務めた関係から残ったもの。美久里村会議員としての村会議書類も含む。清水家の私的文書は、多角的経営を行っていたためか多岐にわたる。
検索手段 清水てつ家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』9、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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