資料区分 古文書
請求番号 P8203
文書群名 横山雄二郎家文書
伝存地 群馬郡群馬町中泉(現高崎市)
出所 群馬郡群馬町 横山雄二郎家
地名 群馬郡中泉村/群馬郡中泉新田/第二大区第八小区/西群馬郡中泉村/西群馬郡堤ヶ岡村/群馬郡堤ヶ岡村/群馬郡群馬町中泉/高崎市中泉町
旧支配 高崎藩領(井伊直政、天正18年~)/高崎藩領(酒井家次、慶長10年~)/高崎藩領(松平康長、元和2年~)/高崎藩領(松平信吉、元和4年~)/高崎藩領(安藤重信、元和6年~)/高崎藩領(松平輝貞、元禄9年~)/高崎藩領(間部詮房、宝永7年~)/高崎藩領(松平輝規、享保3年~)/高崎県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 中泉新田村名主、中泉村・中泉新田村兼帯名主、中泉新田村戸長など
歴史 中泉は、榛名山東麓、井野川支流の唐沢川と天王川に挟まれたところに位置する。元和7年(1621)、中泉新田を分け、寛永7年(1630)これを併せ、寛文7年(1667)再び分かれて、明治5年(1872)また合併したという。江戸期の郷帳類には中泉新田の名は見えない。村高は、「寛文郷帳」269石余のうち田方137石余・畑方132石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに269石余。三国街道沿いに新田村集落があり、天保13年(1842)の農間渡世諸職届書によれば、30戸のうち桶屋・綿屋・繭商人・酒屋・荒物屋など14戸がある。弘化3年(1846)の人別改めによると、新田村の戸数47・人数222。新田村の鎮守は、寛永2年(1625)創建といわれる稲荷神社と白山社。用水は、三ツ寺村の共同溜池の水下りのみの天水待ちで、旱魃寺には水田は砂漠と化した。幕末の改革組合村高帳では、高崎宿寄場組合に属し、高269石余・家数28。明治2年のいわゆる「高崎五万石騒動」に90名が参加し活躍。また、明治13~14年の榛名山秣場騒動にも参加し、当村は運動の中心地域でもあった。横山家は、横山大蔵坊として中泉の地に移り住んだのは寛永2年であるという(大蔵坊は修験名と解せられるが、群馬郡小久保の本山修験「大蔵坊」との関係は不詳)。横山家は代々質屋を営みながら、中泉村および中泉新田村の名主を勤め、明治期には中泉新田戸長および中泉村戸長であったことが確認できる。
伝来 群馬郡群馬町の横山家に伝存した文書群。
数量 3529
年代 寛文7年(1668)~明治41年(1908)
構造と内容 (1)近世文書中の公文書 ①領主と中泉村及び中泉新田村村役人等の間で取り交わされた文書、②村役人相互で取り交わされた文書及び記録あるいは一般農民から村役人あてに提出された文書。(2)近世文書中の私文書 ①質物証文及び借用証文並びに奉公人請状等の契約を取り決めた有印私文書、②領収書などの有印私文書、③私信などの私文書及び私的記録。(3)近代文書中の公文書 ①県庁(もしくは郡役所)と役場との間で取り交わされた文書あるいは役場相互で取り交わされた文書及び記録、②個人が官衙に提出した文書、あるいは個人が官衙から発給を受けた文書。(4)近代文書中の私文書 ①借用証書等の契約を取り決めた有印私文書、②領収書などの有印私文書、③私信などの私文書及び私的記録、などからなる。
検索手段 横山雄二郎家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』21、インターネット検索目録
関連資料 『堤ヶ岡村誌』(昭和31年)、『新編高崎市史』、『群馬郡誌』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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