資料区分 古文書
請求番号 P8204
文書群名 林成一家文書
伝存地 利根郡昭和村生越
出所 利根郡昭和村 林成一家
地名 勢多郡生越村(江戸時代)/北勢多郡生越村(明治11年~)/北勢多郡赤城根村大字生越(明治22年~)/利根郡赤城根村大字生越(明治29年~)/利根郡利根村大字生越(昭和31年~)/利根郡昭和村大字生越(昭和36年境界変更~現在)
旧支配 沼田藩領//第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
役職等 生越村名主、生越区長、農業など
歴史 生越は、赤城山北西麓、利根川支流の片品川下流左岸に位置する。万治2年(1659)の村高は199石余(平形家文書/『群馬県史』資料編12)。真田氏の寛文新検地は、沼田藩領各村の高を著しく高く打ち出し、天和元年(1681)の沼田領郷村品々記録(小林家文書/同前)で、当村の高は989石。真田氏改易後、幕命による酒井氏貞享検地が行われて是正、貞享2年(1685)の旧真田氏所領村高書上控では145石となっている(平形家文書/同前)。なお、「寛文郷帳」では、村高199石のうち田方5石余・畑方194石余、「元禄郷帳」145石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに153石余。元禄14年(1701)の村明細帳(林家文書/同前)によれば、高145石余の反別は田方1長6反余・畑方59帳余、百姓家数38・人数224、馬39。薪取場は赤城山で、糸井村・森下村・橡久保村・川額村と入会、除地に薬師堂境内・観音堂境内・天狗堂境内2・武尊宮境内・諏訪宮境内がある。慶安2年(1649)、貝野瀬村と野境論争が発生。この時は、双方立会の上、境に塚を築いて木を植えることで決着。しかし延宝3年(1675)、同じ原野の入会権をめぐり、当村や貝野瀬村・糸井村・橡久保村・森下村川額村など片品川南東の勢多郡村々と尾合村・平出村・上久屋村・下久屋村など片品川北西の利根郡村々と論争になり、南東村々の入会権を認め、北西村々は川を越えて出作しているものの入会権なしとする採決が下っている。幕末の改革組合村高帳では、糸井村寄場組合に属し、高151石余・家数45。
数量 499
年代 寛永3年(1626)~明治35年(1902)
構造と内容 (1)近世村方文書(村政、村況・戸口、土地、年貢、災害・普請、交通・運輸、社寺・信仰)、(2)近代村行政文書、(3)林家私的文書(由緒・系譜、家政・家業、文化・教養)などからなる。
検索手段 林成一家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』28、インターネット検索目録
関連資料 『わが赤城根村』(赤城根村誌編纂委員会編、1954年)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
先頭に戻ります。