資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P8206 |
文書群名 |
小此木千代子家文書 |
伝存地 |
藤岡市下日野 |
出所 |
藤岡市 小此木千代子家 |
地名 |
多胡郡下日野村(江戸時代)/群馬県第十四大区小十二区 下日野村(明治5年~)/熊谷県北第十四大区十二小区/下日野村(明治6年6月~)/群馬県第十四大区十二小区/下日野村(明治9年~)/多胡郡下日野村(明治11年~)/多胡郡日野村大字下日野(明治22年~)/多野郡日野村大字下日野(明治29年~)/ 藤岡市下日野(昭和30年~現在) |
旧支配 |
代官伊奈備前所轄(慶長3年~)/幕府代官支配(慶長8年~)/吉井藩領(松平氏、元禄11年~)/岩鼻県(明治2年12月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~) |
役職等 |
多胡郡下日野村名主、戸長・副戸長など |
歴史 |
下日野は、鏑川支流の鮎川中流域に位置する。鮎川上流の谷は、古くから日野と称されていたが、天正年間に小集落が合併され、当村は森戸・馬御荷(駒留)・印地・塩平・江木・中倉(中蔵)の6か村をもって成立したとされる。ただし、正式な合併は寛文~元禄年間と考えられる。村高は、「寛文郷帳」では森戸村9石余・馬御荷村23石余・印地村28石余・塩平村97石余・江木村12石余・中蔵村31石余、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに329石余。地守神社は駒留にあり、明治初年までは大宮大明神と称した。真言宗円住寺は駒留にあり、日想山と号し、本尊の厨子扉に宝永6年(1709)の銘がある。曹洞宗興春院は猪田にあり、山号は猪田山。幕末の改革組合村高帳では、吉井宿寄場組合に属し、高329石余・家数140。猪田に温泉井があり、明治5年(1872)に浴場が設けられ、皮膚病に薬効があるとされて、年間入湯客は2,000人以上にのぼった。明治24年の戸数203、人口は男525・女467、学校2、水車場2。 |
数量 |
4269 |
年代 |
寛永年間・慶安3年(1650)~昭和61年(1986) |
構造と内容 |
①公文書(近世領主、近世寺院、近世村政、近代行政)、②私文書(近世有印私文書、近世私文書、近代有印私文書、近代私文書)、③近代私企業文書(準公文書)、④典籍、などからなる。 |
検索手段 |
小此木千代子家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録 23 多野・藤岡地区諸家文書(2)』、インターネット検索目録 |
関連資料 |
吉井藩に関する文書群として「上野吉井藩記録」(PF9003)、「吉井町郷土資料館文書7(土屋百合子氏寄贈史料)」(H42-1-1(7)近世)、「吉井町郷土資料館文書5(本多夏彦氏寄贈史料)」(H42-1-1(5)近世)、「大澤末男家文書」(H42-1-2近世)など。▼図書として『藤岡市史』『吉井町誌』『島高堅自記 多胡旧記・吉井町由来覚書』など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |