資料区分 古文書
請求番号 P8214
文書群名 飯塚馨家文書
伝存地 多野郡鬼石町三波川(現藤岡市)
出所 藤岡市(旧鬼石町) 飯塚馨家
地名 緑野郡三波川村/緑埜郡三波川村/第十五大区第八小区/多野郡三波川村/多野郡鬼石町三波川/藤岡市三波川
旧支配 幕府領(一時旗本領)/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
役職等 三波川村名主・戸長・村長、群馬県会議員・県会議長、鬼石町長など
歴史 飯塚家は、戦国期以来の家系を持ち、江戸時代を通じて緑埜郡三波川村の名主を世襲した。▼明治時代以後は三波川村戸長、同村長、昭和29(1954)年に三波川村と美原村が鬼石町に合併した後の初代鬼石町長も飯塚家当主が勤めている。▼また、初代の三波川村長であった飯塚志賀氏は、明治27(1894)年に県会議員に初当選以来連続六回当選し、大正4(1915)年には第17代県会議長も勤めている。
伝来 緑埜郡三波川村(旧鬼石町・現藤岡市三波川)の琴辻に屋敷を構えた飯塚家に伝来した戦国期以降から昭和期までの文書群である。▼当館へ寄贈された。
数量 12713
年代 天文21年(1552)~明治5年(1872)*閲覧公開分
構造と内容 飯塚家文書は、①三波川村名主文書、②近代三波川村行政文書、③飯塚家私的文書の3つに大きく分けられる。▼現在、整理が終了して閲覧可能な文書は①中世から近世三波川村名主文書である。この中には、切支丹類族関係文書なども含まれている。▼なお、飯塚家文書は平成13年度に未公開分も含めた17240通が群馬県指定重要文化財に指定された。▼また、同家文書は平成26年度には自宅にあった未整理文書等も含めて一括して群馬県に寄贈された。▼これに伴い、飯塚家自宅に保管されていた天文21年(1552)の北条家朱印状を含む戦国期文書や近世初期の文書24点も当館に収蔵された(平成28年3月4日から閲覧可能となった)
検索手段 飯塚馨家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』11、『群馬県立文書館収蔵文書目録』12、インターネット検索目録
関連資料 隣村の下日野村(現藤岡市下日野)の名主文書については、『群馬県立文書館収蔵文書目録23 多野・藤岡地区諸家文書(2)』所収の「小此木千代子家文書目録」参照。同じく隣村の譲原村の名主文書については、『群馬県立文書館収蔵文書目録29 多野郡鬼石町譲原 山田松雄家文書』参照。なお、飯塚家文書の一部については、「高崎市並榎町清水真澄氏収集文書目録」(PF0206)も参照。▼その他:当館紀要『双文』第9号「元禄期前後における三波川村の『枝郷』と『郡』」鈴木一哉など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 飯塚家文書は一括して県指定重要文化財であるため、閲覧に際しては特に丁寧な取り扱いを要する。「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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