資料区分 古文書
請求番号 P08405
文書群名 阪本千太郎家旧蔵文書
伝存地 富岡市富岡
出所 富岡市 阪本千太郎家旧蔵
地名 甘楽郡富岡村/第十二大区第八区/北甘楽郡富岡町/甘楽郡富岡町/富岡市富岡
旧支配 幕府領/旗本領(三給:恒岡氏・筧氏・天野氏、寛永10年~)、うち天野氏領は旗本領(喜多見氏、天和元年~)/幕府御典医竹田法印領(元禄4年~)
役職等 甘楽郡富岡上町名主、荷継ぎ問屋など
歴史 富岡町は慶長17年、代官中野七蔵の移住政策により、甘楽郡宮崎村より町立てが行われた新田である。富岡新田の支配は、旗本等により分割統治が行われた。▼村役人は、上・中町で各1人、下町の二給地で各1人が務めたが、当時の名産「上野砥」や商人荷物等の継立てを行う問屋は、上町では草分け百姓の松浦家と一ノ宮の茂木家が交替で務め、中町は高橋家、瀬下町のうち筧領は高橋家、竹田領は黒沢家が務めたという。▼本文書群はもともと富岡上町の阪本家に伝来したものであることから、主に旗本恒岡氏との関係を示すものが多い。▼上町名主は松浦家・阪本家らが中心となって務めたらしく、荷継ぎ問屋も兼ねることが多かった。▼阪本家は元来、安中七騎の残党として、碓氷郡池田村に住したと言われ、寛文7年に上町に屋敷を買って富岡へ移住してきたという。▼麻・絹・下仁田半紙・茶・繰綿・干鰯などの商品取引で財を貯え、中でも富岡絹の取引先は江戸に2軒、名古屋に2軒、京都に5軒の問屋があり、阪本家から売り子を派遣し販路の拡大をはかった。▼産地で買い集めた絹・麻などを遠く江戸・名古屋・京都へ出荷し、その返り荷として太物・繰綿・干鰯・薬品・小間物などを購入し、それを在地で販売する「ノコギリ商い」を行っていた。▼富岡町が発展していく背景には、砥沢村(現・南牧村砥沢)から藤岡・倉賀野に搬送される御用砥の中継地として大きな役割を担っていたことがあげられる。▼元和年間には瀬下町に砥蔵屋敷が置かれ、荷物継立ての問屋も置かれた。
伝来 山田武麿氏(群馬大学名誉教授)より当館に寄贈された。山田氏によれば、阪本千太郎氏から群馬大学山田研究室へ寄贈されたものという。山田氏はかつて富岡町阪本家の近世経営帳簿を分析して、在郷商人であった同家の活動状況を発表されたことがある。これが縁となって山田研究室へ寄贈されたものと思われる。
数量 265
年代 元和3年(1617)~明治5年(1872)
構造と内容 本文書は、もともと富岡上町の名主や荷継ぎ問屋を務めた阪本家に伝来した文書の一部である。①富岡町関係文書(近世名主文書)と②阪本家私的文書に大別できる。▼①は、主に江戸幕府の触書・定書、旗本恒岡氏の財政悪化に伴う御貸付金拝借や村からの先納金の文書が見られ、元和3年・寛永4年の御縄打水帳からは富岡新田の成立・発展の過程が伺える。▼②は、主に在郷商人としての阪本家の商業活動を示すものが中心である。
検索手段 阪本千太郎旧蔵文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』22、インターネット検索目録
関連資料 中井信彦『幕藩社会と商品流通』、山田武麿『上州近世史の諸問題』、『富岡市史』近世資料編、近世通史編・宗教編、『群馬県史』通史編5など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
先頭に戻ります。