資料区分 古文書
請求番号 P8409
文書群名 門倉善太郎家文書
伝存地 群馬郡榛名町(現高崎市)
出所 群馬郡榛名町 門倉善太郎家
地名 第十大区第八小区/西群馬郡春名山村/ 西群馬郡榛名山村/西群馬郡室田村/群馬郡室田村/群馬郡榛名町/高崎市榛名町
旧支配 東叡山寛永寺榛名山領(近世)/井伊直政領(天正18年~)/天海領(慶長18年~)/東叡山寛永寺領(寛永9年~)/岩鼻県(明治2年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 榛名山御師泉学坊
歴史 門倉善太郎家は、江戸時代より榛名山で御師として活動していたが、残された文書からは江戸時代の活動の様子などは不明である。明治時代以降、門倉姓を名乗る御師は三家、坊名は善徳坊、泉学坊、南学坊であったが、門倉善太郎家は泉学坊であり、束・増太郎・永治・善太郎と続いているが、善太郎氏の父永治氏の代に宿坊をやめたと推定される。
伝来 伝存地は群馬郡榛名町(現高崎市)大字榛名山小字社家町で、門倉家は江戸時代より榛名山で御師として活動していた。江戸時代、榛名山の御師は60~90戸程度であるが、門倉家の活動開始時期や由緒については不明である。明治時代以降、門倉姓を名乗る御師は三家、坊名は善徳坊、泉学坊、南学坊であったが、門倉善太郎家は泉学坊であった。
数量 130
年代 延宝3年(1675)~昭和57年(1982)*閲覧公開分
構造と内容 榛名町大字榛名山小字社家町の門倉善太郎家に伝存した文書130点である。門倉家は榛名山御師を代々つとめた家(泉学坊)である。文書の内容は、御師の活動に関わる榛名神社関係文書と門倉家私的文書に大別されるが、ほとんどが明治時代以降の近代文書である。
検索手段 門倉善太郎家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』21、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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