資料区分 古文書
請求番号 P8601
文書群名 大戸文治郎家文書
伝存地 藤岡市藤岡
出所 藤岡市 大戸文治郎家
地名 緑野郡藤岡町/群馬県多野郡藤岡町/群馬県藤岡市
旧支配 芦田氏領(天正18年~)/幕府代官豊島十左衛門支配(慶長6年~元和5年)/酒井雅楽頭氏領(元和5年~寛延2年)/幕府代官伊奈半左衛門支配(寛延2年~宝暦2年)/松平大和守氏領(宝暦2年~明和4年)/幕府代官前沢藤十郎支配(明和5年~安永3年)/旗本水上氏領(安永3年~慶応4年)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 呉服商「布屋」当主、第15大区5小区戸長、群馬県議会議員、多野郡郡会議員・議長、藤岡町長
歴史 大戸家がはじめて藤岡に入ったとき山崎の地に住まい、その後、現在の大戸町に移った。その後、藤岡町の中心街である動堂下町(5丁目)に移り、さらに旭町に移った。江戸時代から大戸家は呉服商を営み、屋号を「布屋」といった。江戸時代の中頃、作兵衛幸治の息子、三右衛門幸本が本家を継ぎ、娘保子に甚兵衛幸久を迎えて一家を起こした、この甚兵衛幸久家は「奥の大戸」と呼ばれ、幕末には動堂町の名主を務めている。本家は呉服商を続け、作兵衛幸興の時、明治16年には第15大区5小区の戸長、同21年には群馬県議会議員、同36年には多野郡会議員・議長、翌37年には第4代藤岡町長を歴任している。
伝来 大戸家に伝来した江戸時代から昭和時代までの総点数1705点の文書群である。
数量 1705
年代 元文5年(1740)~昭和38年(1963)
構造と内容 総点数が約1700余点に及ぶ大戸家文書は、内容的には、江戸時代の緑野郡藤岡町関係文書、明治時代以降の藤岡町関係文書、江戸時代から昭和期にいたる大戸家私的関係文書の3つに大別できる。このうち、江戸時代及び明治時代以降の藤岡町関係文書はそれぞれ100点弱程度であり、残り1500点が大戸家私的関係文書である。私的関係文書の内容は、家政・家計に関する文書、家業に関する文書、書画、写真、和書、漢籍類などである。特に和書・漢籍類の数が多いのが特徴である。また、昭和18年6月から昭和20年1月迄の焼付版読売ニュースが178枚残されている。他に多野郡出身日露戦役戦没者の供養関係文書も含まれる。
検索手段 大戸文治郎家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』23、インターネット検索目録
関連資料 「藤岡市相生町大戸家文書」(「奥の大戸」、PF8410)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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