資料区分 古文書
請求番号 P8702
文書群名 勝山敏子家文書
伝存地 前橋市本町
出所 前橋市 勝山敏子家
地名 群馬郡前橋本町(近世)/東群馬郡前橋本町(明治11年~)/東群馬郡前橋町本町(明治22年~)/前橋市本町(明治25年~)
旧支配 前橋藩平岩氏領(天正18年~)/前橋藩酒井氏領(慶長6年~)/前橋藩松平氏領(寛延2年~)/川越藩松平氏領(明和4年~)/前橋藩松平氏領(慶応3年~)/前橋県(明治4年7月~)/第一次群馬県(明治4年10月~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 前橋町年寄/戸長/学区取締/本町地主惣代/前橋生糸改所頭取/県会議員(東群馬郡)ほか
歴史 勝山家は江戸時代前期から前橋城下の本町に居住し、勝山家当主は前橋藩酒井家及び松平家の治政下で、江戸時代半ばまでは福野家、江戸時代後期には松井家らと共に前橋町の町年寄として町行政に携わった。▼明治時代以降も生糸製造所・質屋などを経営しながら、戸長・学区取締などの公職を務めた。
伝来 江戸時代に前橋の町年寄を務めた勝山家には、昭和戦前期まで町年寄日記をはじめ厖大な史料が保存されていたが、昭和20年の戦災で土蔵の一つを焼失し、そのほとんどが焼失した。▼焼け残ったもう一つの土蔵にあった文政4年の「上野国勢多郡前橋町図面」(P8701・№1)や明治前期の近代文書類約250点がまず当館に寄託された(昭和62年・平成2年)。ついで、同家の土蔵に残されていた江戸時代から明治・大正期の和書・典籍類約3500点と20数点の帳簿類などが当館に寄託され(平成16年)、後に全てが寄贈された。▼なお、町年寄関係文書は「松井家旧蔵文書」(P01013)とともにデジタル撮影され、複製本「前橋市本町 勝山敏子家文書」(PF1901)でも公開している(2019年度、勝山家寄付金事業)。
数量 3771
年代 寛永17年(1640)~昭和12年(1937)
構造と内容 勝山家に伝わった文書群と、近代に収集された資料群である。▼№1~252は明治前期の近代文書類で、主に勝山源三郎氏が当主であった時期の文書である。▼そのほかは江戸時代から明治・大正期の和書・典籍類である。中心となるのは、和書・典籍類約3500点である。▼内容は、儒学・国学・仏教・史書・文芸など多種に及ぶ。これらの書籍がそれぞれどの時期に勝山家に購入されたかは不明であるが、書籍の巻末の書き込みなどから推測すれば源三郎氏が明治16年に死去した後に家督を継いだ勝山牧次郎(方教)氏が収集した書籍類が多いと推定される。▼牧次郎氏(文久元年生~大正10年没)は家業のかたわら尾高高雅・黒田清綱・佐々木弘綱などから歌道を学び、没後に『橘園家集』(№690)が刊行されている。上毛歌壇の著名人であった。そのため和歌関係の書籍が多い。▼勝山家文書の特色をなす前橋町年寄関係文書は、「松井家旧蔵文書」(P01013)の一部とともにデジタル撮影され、複製本「前橋市本町 勝山敏子家文書」(PF1901)でも公開している(2019年度に勝山家寄付金事業)。▼状態がひどい史料は複製本のみでの公開となっている。また、利便性と貴重な史料保存の観点から、まずは複製本である本資料での閲覧をご検討頂きたい。
検索手段 勝山敏子家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録10』、インターネット検索目録
関連資料 デジタル撮影した前橋町年寄関係文書「前橋本町 勝山敏子家文書」(PF1901)。▼勝山家所蔵「文政四年前橋町絵図」(P8701、前橋市重文、複製物閲覧)。▼前橋町年寄関係として一緒に撮影した「前橋本町 松井家旧蔵文書」(PF1902)、原本「松井家旧蔵文書」(P01013)。▼参考文献として、『群馬県立文書館収蔵文書目録10 勝山敏子家文書』、「翻刻「明治4年 前橋町年寄日記~御用雑日記~」(当館の紀要『双文』36号)など。▼参考文献として角川書店『角川日本地名大辞典 10 群馬県』、平凡社『群馬県の地名 日本歴史地名体系10』、群馬県文化事業振興会『上野国郡村誌』、丑木幸男著『上野国郷帳集成』など。
利用上の留意点 前橋町年寄関係は複製本「前橋市本町 勝山敏子家文書」(PF1901)でも公開している(2019年度、勝山家寄付金事業)。▼状態がひどい史料は複製本のみでの公開となっている。また、利便性と貴重な史料の保存の観点から、まずは複製本での閲覧をご検討頂きたい。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条および「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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