資料区分 古文書
請求番号 P8811
文書群名 長野原町第六区有文書
伝存地 吾妻郡長野原町大津
出所 吾妻郡長野原町 長野原町第六区
地名 我妻郡坪井村・立石村・勘場木村/吾妻郡坪井村・立石村・勘場木村/第二十大区第十小区/吾妻郡大津村/吾妻郡長野原町大津
旧支配 沼田藩領/幕府領/旗本領(伊丹氏、深津氏)/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
歴史 天明3年(1783)の浅間焼けでの被害は、坪井村内で流死者8名・流出家屋21軒など、立石村で流死者12名・流出家屋7軒など。貞享3年(1685)当時、勘場木・立石両村の村役人は兼帯。文久元年(1861)の和宮下向に際し、中山道沓掛宿・坂本宿の助郷となり人馬が割り当てられた。また、天保3年(1832)には草津入湯帰途の水戸浪士と幕府官吏の間で殺傷事件(立石坂事件)がおきている。
伝来 従来、区長箱に保存し代々区長が管理してきた。本来は名主を務めた家等に引き継がれてきたが、明治期になって散逸があったと思われる。本文書は戦後各家に払い下げられた後に残ったものではないかとのことである。その払い下げ文書の一部を黒岩今朝男家で購入している。引継記録などがないことから伝存の実態はつかめないが、明治32年「役場蔵置古文書整理及び保管規程」(『長野原町誌』上)は興味深い資料である。
数量 37
年代 寛文3年(1663)~明治34年(1901)
構造と内容 収載点数37点を村別に分けると、坪井村のものが多く、旗本伊丹氏の支配を受けた吾妻郡内村々に宛てられた文書も多い。検地帳や万座山の硫黄稼ぎ、狩宿関所の普請や小雨橋の普請についての霞役村関係史料などからは、年貢以外の諸役が課せられたことが伺える。№29・30の文書は代官交替時(池田新兵衛→早川安左衛門)に作成された文書である。
検索手段 長野原町第六区有(大津区有)文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』16、インターネット検索目録
関連資料 浅見喜義家文書(P08426)、黒岩今朝松家文書(P8812)、湯本正喜家文書(P8904)、市村了家文書(P9002)、市村一夫家文書(P9003)、市村平八郎家(P0202)、『長野原町誌』、『群馬県史』資料編11、『群馬県吾妻郡誌』『大津区有古文書研究』第1~3集(大津老人クラブ文化部)、『長野原町の古文書』など。▼県史複製資料に「大津区有文書」(H63-6-1近世)がある(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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