資料区分 古文書
請求番号 P8902
文書群名 赤堀恒雄家文書
伝存地 佐波郡赤堀町今井(現伊勢崎市)
出所 伊勢崎市(旧赤堀町) 赤堀恒雄家
地名 佐位郡今井村(近世)/佐位郡赤堀村大字今井(明治22年~)/佐波郡赤堀村大字今井(明治29年~)/佐波郡赤堀町大字今井/伊勢崎市赤堀町今井
旧支配 幕府領(寛永5年~)/前橋藩領(寛永8年~)/幕府領(寛永11年~)/下総佐倉藩領(寛永13年~)/幕府領(寛永18年~)/旗本領(牧野氏、正保4年~)/幕府領(正保11年~)/旗本領(相給:牧氏・松下氏、元禄11年~)/岩鼻県(慶応4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 佐位郡今井村名主、第十七大区第四小区副区長など
歴史 南北朝期の郷名は「今井郷」。佐位郡佐位荘のうち。▼江戸期の今井村の村高は「寛文郷帳」では394石余のうち田方232石余・畑方118石余・林高43石余。「元禄郷帳」では、458石余、「天保郷帳」では468石余、「旧高旧領帳」では463石余。▼幕末の「改革組合村高帳」では、伊勢崎町寄場組合に属し、寺領などを除き高409石余、家数75。▼赤堀村は明治22年に、今井・五目牛・下触・堀下・市場・野・西久保・曲沢・間野谷・香林・西野(以上佐位郡)、磯村(勢多郡)の12ヶ村が合併して成立。はじめは佐位郡、明治29年からは佐波郡に所属する。▼「赤堀」の地名は鎌倉期から見える。赤堀氏の来歴は『上野国誌』によれば、「赤堀氏は、田原藤太秀郷の末葉であり、足利又太郎忠綱の弟、足利二郎泰綱4代の孫にして、孫太郎と称し、佐位郡赤堀を領し、初めて赤堀氏を称す」とある。▼江戸期は名主として、明治期には第17大区第4小区副区長(赤堀久弥)を務めている。酒造業を営んでいた。恒雄氏は、泰綱より数えて39代目にあたる。
数量 6303
年代 享保19年(1734)~明治24年(1891)年 *閲覧公開分
構造と内容 名主と地頭所の用人間の書状、請取・相場書、他損の江戸在勤名主から赤堀家宛書状など。▼第2次閲覧文書(H21公開、№835~1772)の概要は、江戸時代から明治期にかけて作成された文書で、①名主と地頭所の用人との間でやりとりされた書状(用状)や、②諸々の覚類(請取・勘定書上・相場書)、③その他である。書状や覚類は年代表記が記入されていないものが多い。▼①今回の整理点数のなかで書状類は半数を占める。宛先別では赤堀伴七がもっとも多い。地頭所の用人(武内鉈作、松野禄輔)宛の用状は、年貢に関する通信書簡などである。▼②覚類の内容は、諸品や年貢の請(受)取、先納金などの差引勘定覚、相場書などである。▼③その他の文書は、①②以外の証文類・書付類である。
検索手段 赤堀恒雄家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 斉藤恒五郎家文書(H80-6-1近世)、須藤素男家文書(H80-10-1近世)など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 赤堀家文書は、総数20000点をこえる文書群であり、残りの史料は順次整理、公開していく予定である。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。▼また、破損甚大につき、№979、1229、1288、1289、1313、1314、1438、1439はコピー閲覧。
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