資料区分 古文書
請求番号 P8904
文書群名 湯本正喜家文書
伝存地 吾妻郡長野原町大津
出所 吾妻郡長野原町 湯本正喜家
地名 吾妻郡立石村/吾妻郡大津村/吾妻郡長野原町大字大津村/吾妻郡長野原町大字大津
旧支配 沼田藩領(真田氏、天正18年~)/幕府領(天和元年~)/旗本領(深津弥七郎、元文5年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)
役職等 勘場木村兼帯立石村名主/大津村伍長/大津村衛生委員/大津村村会議員/第6区大津区長
歴史 立石村は群馬県北西部吾妻川中流左岸、同川支流遅沢川流域に位置する。村高は「寛文郷帳」では54石余(田方7石余・畑方47石余)、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領帳」ともに97石余。▼幕末の改革組合村高帳によれば、大戸村寄場組合に属し、高77石余、家数34。▼湯本家の来歴は不明であるが、伝存文書から推定すれば、江戸時代には立石村の洞口組に属し、先祖は明和・安永年間頃に吾妻郡洞口村世話役、明治初年には立石・勘場木両村名主として武右衛門の名が見え、明治10年代以降は大津村伍長、大津村衛生委員、第6区(大津)区長として湯本武三郎の名が散見される。▼また、明治16年(1883)・同17年には大津村村会議員に当選し、村政にも尽力したことが窺われる。また湯本武三郎は俳諧を嗜み、俳号を「竹葉」と称して多くの短冊を遺している。▼家業としては、明治30年代の炭焼き関係の文書のほか、明治10年代から同40年代にかけての金銭出入帳や貸借証文などが伝存することから金融業も営んでいたと思われる。
伝来 湯本家に代々伝来した文書群で、平成元年10月県立文書館へ寄託、後に寄贈された。
数量 1194
年代 宝永6(1709)年~昭和26(1951)年
構造と内容 伝存文書の多くは明治・大正期のものが大部分を占め、江戸時代のものでは、宝暦・明和期の小雨橋普請をめぐる橋元村々と組合村々との訴訟に関する証文、明和8年の「御廻状写帳」、同8年の村方借用金100両の年賦返済に関する証文などごくわずかにすぎない。▼明治・大正期の文書は、その多くが湯本武三郎の時のもので、土地台帳、租税の告知・領収書、金銭出入帳、村絵図、土地・金銭の貸借証文、湯本家の音信帳などが比較的まとまったものである。なかでも金銭出入帳は明治期のものがほぼ揃っており、湯本家の経営・生活状況等を知り得る貴重な史料といえよう。▼ほかに、近代の教科書や典籍類、俳諧関係では諸社への奉燈句合、俳諧の短冊などが、近世から近代にかけての吾妻地方の文芸の発展状況を知る手がかりを与えてくれるものであり、湯本家文書群の特徴の一つであろう。
検索手段 湯本正喜家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 同じ地域の文書として、長野原町第六区有文書(P8811)、浅見喜義家文書(P08426)、黒岩今朝松家文書(P8812)、市村了家文書(P9002)、市村一夫家文書(P9003)、湯本正喜家文書(P8904)など。▼また、『長野原町誌』、『群馬県史』資料編11、『群馬県吾妻郡誌』など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 一部破損が著しく取扱いや閲覧に注意を要する文書がある。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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