資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P9002 |
文書群名 |
市村一夫家文書 |
伝存地 |
吾妻郡長野原町大津 |
出所 |
吾妻郡長野原町 市村一夫家 |
地名 |
吾妻郡立石村草木原/吾妻郡大津村草木原/吾妻郡長野原町大字大津村 |
旧支配 |
沼田藩領(真田氏、天正18年~)/幕府領(天和元年~)/旗本領(深津弥七郎、元文5年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~) |
役職等 |
立石村村役人(年番名主)、立石・勘場木兼帯名主 |
歴史 |
吾妻川中流左岸、同川支流遅沢川流域に位置する。▼村高は「漢文郷帳」では54石余(田方7石余・畑方47石余)、「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領帳」ともに97石余。▼幕末の改革組合村高帳によれば、大戸村寄場組合に属し、高77石余、家数34。▼市村家は江戸時代には代々、奧右衛門名乗り、年番名主などの村役人を務めた。 |
伝来 |
文書は母屋2階の桐箱に収められ、その桐箱は解体しないように藁で縛ってあったという。2020年度に寄贈された。 |
数量 |
282 |
年代 |
貞享元年年(1684)~明治14年(1881) |
構造と内容 |
資料は、元文5(1740)年以降、旗本深津家が立石(たついし)村を知行していたころの村政文書や、近世から明治期にかけての市村家の土地・金銭貸借証文などである。▼元文5年の立石村・勘場木村申御年貢米永皆済目録によれば、立石村は隣村の勘場木村と兼帯して名主を務めていた((№41)。 |
検索手段 |
市村一夫家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』16、インターネット検索目録 |
関連資料 |
同じ地域の文書群として、長野原町第六区有文書(P8811)、浅見喜義家文書(P08426)、黒岩今朝松家文書(P8812)、湯本正喜家文書(P8904)、市村了家文書(P9002)、湯本正喜家文書(P8904)など。▼ほかに『長野原町誌』、『群馬県史』資料編11、『群馬県吾妻郡誌』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |