資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P9007 |
文書群名 |
新治村須川笠原惣代文書 |
伝存地 |
利根郡新治村須川(現みなかみ町) |
出所 |
利根郡みなかみ町(旧新治村) 新治村須川笠原惣代 |
地名 |
吾妻郡須川村笠原組(村)/吾妻郡須川村字笠原/吾妻郡久賀村大字須川字笠原/利根郡久賀村大字須川字笠原/利根郡新治村大字須川字笠原/利根郡新治村須川字笠原/利根郡みなかみ町 |
旧支配 |
沼田藩領(真田氏)/幕府領(天和元年~)/越後長岡藩預り地(寛延2年~)/幕府領(寛延3年~)/旗本領(久世氏、文化9年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年) |
歴史 |
江戸時代、須川村(宿)は三国街道の宿場の1つで、村は町組(宿方)と笠原組・茅原組・谷地組(以上在方)とに分かれていた。笠原地区は久賀村の時第4区の自治組合であった。明治41年茅原と十二川原と笠原の3地区が、新治村第6区の自治組合を組織し現在に至っている。笠原惣代文書は笠原地区に残された文書を、明治期以降惣代が保管して引き継いだものと思われる。 |
伝来 |
笠原惣代に保管されていた文書群。笠原組大組頭のもとで作成・収受された文書は、交替の際に目録に記載され引き継がれていた。明治期に入ると、笠原惣代によって文書が管理された。普段、文書は「惣代箪笥」で保管されており、万一書類を紛失した場合ニは、仲介人を立てて組の人達に詫びを入れなければならなかった。 |
数量 |
561 |
年代 |
貞享元年(1684)~昭和5年(1930) |
構造と内容 |
①江戸時代の須川村の村方文書ならびに交通関係文書、②明治期以降の須川村の笠原地区の戸長・区長文書。①には、明和7年から文政13年の間に34通の年貢割付状と、明和7年から天保8年の間に45通の年貢皆済目録がある。又、草刈りに関する紛争の議定書(№30、34、27、40、45)や、人馬の継立てに関する宿方と在方との助合(郷)割合についての内済証文がある(№16、28、52、17、19)。②には明治・大正・昭和期の久賀村及び新治村からの諸達綴や、区長から笠原惣代宛の通知等が主である。明治35年の久賀村第4区の頃の「通知書綴」(№252)や、大正3年から昭和5年迄の、数年の期間を除いた新治村第6区の「諸達綴」がある。諸達綴の内容からは、村政の下達状況や笠原地区の行事等の概要がうかがえる。 |
検索手段 |
新治村須川笠原惣代文書、『群馬県立文書館収蔵文書目録』、インターネット検索目録 |
関連資料 |
、新治村須川区有文書(P8513)、笠原壮健文書(P9312)、『新治村史料集』、『群馬県史』資料編12・通史編、『上野国寺院明細帳』5など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |