資料区分 古文書
請求番号 P9102
文書群名 木村善一家文書
伝存地 前橋市総社町
出所 前橋市 木村善一家
地名 群馬郡高井村/西群馬郡高井村/西群馬郡総社町/群馬郡総社町/前橋市総社町高井
旧支配 総社藩秋元氏領(慶長6~)/高崎藩安藤氏領(寛永10~)/幕府領(宝永6~)/沼田藩土岐氏領(寛保3~)/前橋藩酒井氏領(延享4~)/前橋藩松平氏領(寛延2~)/前橋県(明治4)/群馬県(明治4~)/熊谷県(明治6~)/群馬県(明治9~)
歴史 高井村(現前橋市総社町高井)は、利根川右岸西方、八幡川台地に位置する。鎌倉初期に千葉常胤の次子高井師常が居住したといい、元屋敷の地名が残る。近世の村高は、寛文郷帳で284石余、うち田方29石余・畑方254石余。元禄郷帳も同高。天保郷帳287石余。検地は寛永12年(1635)高崎藩主安藤氏によって行われ、反別は田2町6反余、畑51町1反余、屋敷筆数14であった。寛延2年(1749)の村明細帳によれば、小物成として大豆・桑・蚕など、大豆納・永納の諸役もあり、絹は高崎町へ出した。なお、高井村の名主は代々福島氏であったが、明和3年(1766)頃には入札による選任が行われ、組頭との交代も起きたが、幕末は福島氏が名主を務めた。庶民教育では、医師で和算研究者の石田玄圭が天明年間(1781~88)から俟命館で子弟に読み・書き・そろばんを指導した。
伝来 本文書群は群馬郡高井村に在住した木村家に伝来した文書群である。『群馬県史』編さん時、中世史部会および近世史部会が「木村一郎家文書」として調査を行っている。なお、県史複製資料にある武田氏発給文書および首藤氏の系譜類は、本文書群に含まれない。当館へ寄贈された。
数量 924
年代 寛永8年(1631)~昭和31年(1956)
構造と内容 本文書群は、主に江戸時代から明治・大正・昭和時代におよぶ木村家の私的文書である。最も年代が遡る文書は、寛永8年(1631)井伊兵部少輔(直勝、安中藩主)宛の永井尚政ら老中連署状である。同日付で近郷の草刈・耕作人以外の利根川渡河の禁止(高崎藩主安藤重長宛、H33-1-4近世 湯浅好男家文書)や藤井村・砥沢村関所における通行規定(P8213 神戸金貴家文書 №7713などが同様に発給されている点も興味深い。近世文書の多くを占めるのは、金銭の授受を示す証文類で、江戸中期以降に資財を蓄積していった過程が見て取れ、古典籍や謡曲、浄瑠璃本などからは在郷の文化水準の高さもうかがえる。 近代には碓氷社惣社組のもと養蚕製糸業を経営していたようである(№151、156、308)。また、大正期には木村和五郎・真両氏が陸軍に入隊、昭和に入ってからは一郎氏が上海など中国大陸に出征していたようである。真氏が第八中隊入隊時に課題として記したと思われる〔前哨配備要図〕(№910-4~9)や一郎氏は母に宛てた軍事郵便(№265~270)は、当時の軍の動向を知る上で貴重な資料といえる。また、明治期以降の教科書類は240点を超える。
検索手段 木村善一家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 木村一郎家文書(県史複製資料H0-3中世、H0-107-3近世)、立見昭一家文書(H0-107-2近世)、藤井伝重郎家文書(H0-107-4近世)、『総社町郷土史』(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 一部破損が見られるので閲覧には注意されたい。「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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