資料区分 古文書
請求番号 P9108
文書群名 住谷修家文書
伝存地 群馬郡群馬町東国分(現高崎市)
出所 群馬郡群馬町東国分(現高崎市) 住谷修家
地名 群馬郡東国分村、西群馬郡東国分村、西群馬郡国府村大字東国分/群馬郡国府村大字東国分/群馬郡群馬町東国分/高崎市東国分町
旧支配 総社藩領/高崎藩領(寛永10年~)/幕府領(宝永7年~)/沼田藩領(寛保3年~)/前橋藩領(延享4年~)/前橋県(明治4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
歴史 住谷家は、永禄年間(1558~)に国分に住んだ武士が先祖であるという。代々武兵衛を名乗り享和3年(1803)には酒造業を営んでいた。▼文政2年(1819)武兵衛は前橋藩の勧農付属掛に任命され、藩向領33か村を担当した。▼勧農掛とは、文政2年に農村立て直し対策のために前橋藩が発足させた制度で、住谷家は、小暮村の須田家、力丸村の羽鳥家、前橋竪町の大島家などの有力百姓町人五人のうちの一人であった。▼安政2年(1855)権平は勧農付属掛に任命され、文久3年(1863)には前橋藩向領糸商人仲間の一人として生糸取引を営んでいる。▼また明治維新後は、大区長・県会議員をつとめている。▼なお、権平の妹は前橋本町の勝山源三郎と結婚した(勝山敏子家文書 PF1901 No.18/3805)。
伝来 群馬郡の住谷家に伝来した文書群。▼当館へ寄贈された。
数量 565
年代 延宝元年(1673)~明治13年(1880)
構造と内容 本文書で特徴的なものは前橋藩文政改革の勧農関係文書である。▼住谷家は武兵衛の代に前橋藩政改革のため勧農取扱の趣意書を提出し、基金として100両を献上し勧農役所を設置した。武兵衛は勧農附属として任命された。▼住谷家文書の中には勧農役所よりの書状類が含まれており前橋藩の農業政策について良好な資料である。▼なお、慶長6年、寛永12年の検地帳写、明細帳、年貢割付(寛永期~)、皆済目録、五人組帳、宗門人別帳等、村政の中核となる文書群であり、村方を知る上で貴重である。また住谷家の農業経営についての資料が多く含まれている。
検索手段 住谷修家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 マイクロ閲覧の「群馬郡群馬町 住谷修家文書」((PF9407)▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 一部マイクロ閲覧(PF9407)。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
先頭に戻ります。