資料区分 古文書
請求番号 P9204
文書群名 黒岩初音家文書
伝存地 吾妻郡長野原町応桑
出所 吾妻郡長野原町 黒岩初音家
地名 吾妻郡狩宿村/吾妻郡応桑村/吾妻郡長野原町大字応桑村/吾妻郡長野原町応桑
旧支配 沼田藩領(真田氏、近世初期)/幕府直轄領(天和2年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 狩宿村名主・戸長、応桑村会議員、長野原町会議員
歴史 黒岩家は明治13(1880)年から40(1903)年にかけて応桑郵便局の局長を務めている。初代局長の黒岩源十郎は、明治3年頃狩宿村の名主及び戸長を務め、同5年の大小区制下においては第二十大区第十二小区々長となった。村の要職を歴任したことにより同13年6月応桑村の五等郵便局(同19年5月応桑郵便局に改称)の局長に任命され、同15年5月まで務めた。その後、同36年には、市制・町村制実施(同22年)により大字毎に置かれた第九区応桑の区長となっている。局長職は、黒岩慶次郎に引き継がれ、明治40年9月まで25年間応桑郵便局長を務めた。その間、応桑村会議員(明治13年)や学務委員等を歴任している。その後は、黒岩嘉太郎が明治36年より3年ほど通信事務員として応桑郵便局に勤務していたが、大正元(1912)年木炭製造販売業に従事したのを機に、種々の木炭製造法を収得し、製炭指導員として講習会の講師や品評会の審査員など地域の木炭生産指導にあたった。嘉太郎も、長野原町第九区々長(大正9年)や長野原町会議員(同10年)を務めるなど町政に尽力した。
伝来 黒岩家に伝来保存。昭和53年10月群馬県史編さん室近世史部会調査。平成5年2月当館寄託。その後、当館へ寄贈された。
数量 1194
年代 寛文5(1665)年~昭和27(1952)年
構造と内容 江戸時代の文書はごく僅かで、明治時代初期から昭和20年代までの文書が中心である。江戸時代の文書としては、狩宿村年寄源右衛門(黒岩源右衛門)から山本大膳役所に宛てた常林寺本堂再興に関する願書控(文政9年)がある他は、江戸時代に刊行された唐詩選等の刊本が数点ある。明治から昭和時代の文書としては、主に応桑郵便局の局長を務めた関係から郵便に関する文書が多く、通信に関する法規、駅逓局からの辞令や局長交替時の事務引継書、長野原や軽井沢局など郵便局間の業務通信など明治期の地方郵便局の状況を知る上で貴重な資料である。また大正期からは木炭製造を行っていたため、製炭法など昭和期に至る木炭関係文書がまとまっている。他に明治期の教科書類、長野原尋常高等小学校の授業日誌(明治44年)、地券証、土地売買及び金銭貸借関係文書もある。
検索手段 黒岩初音家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 本文書の一部は、黒岩助太郎家文書(H63-9-3近世③454)に県史複製資料として収録など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
先頭に戻ります。