資料区分 古文書
請求番号 P9205
文書群名 長野原町長野原区有文書
伝存地 吾妻郡長野原町長野原
出所 吾妻郡長野原町 長野原町長野原区
地名 我妻郡長野原村/吾妻郡長野原町/吾妻郡長野原村/第二十大区第十小区/吾妻郡長野原町
旧支配 沼田藩領(真田氏)/幕府領/岩鼻県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
歴史 天正18年(1590)から沼田藩真田氏の所領となり、江戸時代初期には沼田城と信州を結ぶ真田道の伝馬宿を務める村であった。また、中山道高崎宿を起点とする信州街道の須賀尾村から草津温泉へ通じる草津道の馬継場でもあり、本文書中の「問屋・年寄治郎左衛門」はその役割を担っていたのであろう。天和元年(1681)真田信利が改易されると幕府領に編入。天明3年(1783)の浅間焼けでは吾妻川も氾濫し、琴橋などの狭隘部がダム状になり滞水して大被害となった。
伝来 本文書は、かつて歴代区長が持ち回りで管理してきた。平成5年には公民館(現在の同町公民館長野原分館)で保管されていた。
数量 436
年代 明和2年(1765)~昭和37年(1962)
構造と内容 江戸時代の吾妻郡長野原村の名主文書、明治以降の戸長および連合戸長役場文書、さらに明治22年(1889)の吾妻郡長野原町誕生後の大字長野原町(第五区)の区長管理文書に大別できる。ただ、近世の名主文書や近代の戸長役場文書は数量的に少ない。貞享3年吾妻郡長野原町検地帳、須川橋普請文書を含む。
検索手段 長野原町長野原区有文書目録、『群馬県立文書館』、インターネット検索目録
関連資料 佐藤善三郎家文書(H63-5-2近世)、『長野原町誌』上・下、『群馬県史』資料編11、『長野原町の古文書』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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