資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P9312 |
文書群名 |
笠原壮健文書 |
伝存地 |
利根郡新治村須川(現みなかみ町) |
出所 |
利根郡みなかみ町(旧新治村) 笠原壮健 |
地名 |
吾妻郡須川村/吾妻郡久賀村大字須川/利根郡久賀村大字須川/利根郡新治村大字須川/利根郡みなかみ町須川 |
旧支配 |
越後長岡藩預り地(寛延2年~)/幕府領(寛延3年~)/旗本領(久世氏、文化9年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年) |
役職等 |
笠原壮健長 |
歴史 |
笠原壮健とは笠原地区(組)の若者組であり、笠原組は吾妻郡須川村の在方三組(笠原・茅原・谷地)の一つである笠原組を指す。本文書に名を残す「貞照尼」は、笠原に移り住んだ後、庵を建て、村人に産婆のような役割をしたり、子どもたちに読み・書きなどを教えて暮らしていたという。現在でも地元の人々は貞照尼を「テイショウサマ」と偲び、春の彼岸には地区内の泰寧寺で請けた塔婆を壮健と婦人会で墓に供えている。 |
伝来 |
本文書は笠原壮健の持ち廻りによって保管されていた総点数5点の文書群である。壮健と貞照尼の関係は定かでない。 |
数量 |
5 |
年代 |
嘉永元年(1848)~明治38年(1905) |
構造と内容 |
総点数は5点。幕末に尾州知多郡北尾村(現愛知県大府市北崎町)より移住し、須川村笠原に庵を建て定住した尼僧貞照尼(ていしょうに)に関連する文書で、嘉永元年(1848)年の往来手形1点と明治38年(1905)に死亡した際の香典帳及び財産処分の文書4点からなる。 |
検索手段 |
笠原壮健文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』25、インターネット検索目録 |
関連資料 |
新治村須川笠原惣代文書」目録(P9007)、新治村須川 新治村須川区有文書」(P8513)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
特になし |