資料区分 古文書
請求番号 P9409
文書群名 根井幸江家文書
伝存地 勢多郡北橘村箱田(現渋川市)
出所 渋川市(旧北橘村) 根井幸江家
地名 勢多郡箱田村・中箱田村/南勢多郡箱田村/南勢多郡北橘村/勢多郡北橘村箱田/渋川市北橘町箱田
旧支配 前橋藩領
役職等 勢多郡中箱田村名主、幕末に郷兵頭取・直支配地廻帯刀や大惣代役、第三大区区長、木曽三社神社社掌・井出神社神官、神道修成派の訓導・中講義、北橘村書記・助役
歴史 根井氏は木曽義仲四天王のひとり根井行親(ゆきちか)を祖としている。義仲没落後に遺児を擁護して上野国へ移住したとされている(№419など)。幕末期に前橋藩医沼田一齋の仲介を経て根井家は木曽家に出入りできることになったようで(№122-18)、当主を「御館様」と呼んでいる。また会津藩医佐瀬敬斎の下で医学を学び、安政元年には箱田村で開業していたようであり(№317)、資料のなかに医学書が確認できる。
数量 1185
年代 寛永期(1630年代)~昭和28年(1953)
構造と内容 資料の性質として①箱田・中箱田村名主関係、②木曽家関係、③天下の動静を伝える資料、④戸長・第三大区区長関係、⑤神道関係、⑤文化的な資料の6種類に分類でき、非常に多彩な文書群である。地方の名主・戸長文書にしては、天下の動静に関する情報が格段に多い。①年貢・地租改正関係の資料が多い。近世では元禄~安政の年貢割付状25通をはじめとする箱田村名主文書である。②幕末期の書状が多く、木曽家の家政の一端が窺える。③書付・書状が多い。安政の大獄の罪人捕縛の状況(№117など)や禁門の変(№121-3)などの状況を伝える。三浦半島湾岸防備に関する絵図(№176、724)があり、前橋藩が詰めたとされる大津陣屋も描かれている。安政4年に土佐藩邸で行われたとされる剣術大会の対戦者の人名を記した書付(№122-51)があり、「桂小五郎」や「坂本龍馬」が、また井上正香からの書簡写(№591)には「西郷吉之助」の名が記されている。史実はともかく一般庶民が知り得た天下の情勢という点で興味深い資料であろうか。④第三大区区長を勤めていたことにより、単なる戸長役場文書にとどまらず、広域の村々に関する資料が残存する。その範囲は箱田村・中箱田村のみならず、前橋市・旧北橘村・旧赤城村地域にわたる。収穫調査表(№218-1~231)や字名取調(№241-1~-52)、『上野国郡村誌』の調査資料が彩色絵図付で存在する。(№235-1~№236-11、№255~291)明治7年~10年に作製された第三大区の各小区の全図および各村の絵図も揃っている(№687-1~722)。⑤近代の神道修成派に関する資料で、明治初期の神道の動向が窺われる。また木曽三社神社の由緒調書(№426・429など)などから、義仲以降の根井氏の出自や木曽氏の動向が窺われる。宗派間の帰属問題に関する資料も多く非常に難解である。⑥和歌・俳句・漢詩に関する草稿などが多い。藍沢無満や小渕幻亜など文人との交流もあったようである。
検索手段 根井幸江家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 木曽義久家文書(P1009)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 虫損など一部状態がひどい資料があるので、取扱は十分に注意していただきたい。「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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