資料区分 古文書
請求番号 P9501
文書群名 長野原町応桑区有文書
伝存地 吾妻郡長野原町応桑
出所 吾妻郡長野原町 長野原町応桑区
地名 我妻郡狩宿村・小宿村/吾妻狩宿村・小宿村/第20大区第12小区/吾妻郡応桑村/吾妻郡長野原町
旧支配 沼田藩領(鎌原縫殿給分)/幕府領/幕府領・旗本領(古田氏)/群馬県/熊谷県/群馬県
歴史 「狩宿」「小宿」の地名は、建久4年(1193)の源頼朝三原野狩の際に、頼朝がこの地を宿としたことに由来し(狩宿)、村内小代の集落に歩卒・勢子の宿が置かれて「小宿」と改めたという。小宿村は、天明3年(1783)浅間焼けの直撃を受け、住人290のうち149人が流死し、家屋60軒は残らず流出したという。狩宿村は中馬渡世・軽尻駄賃付送りや山稼で生計を立て、羽根尾宿などと人馬の継立をめぐって紛争が起きている。寛文2年(1662)に狩宿関所が設置されてからは関所付村として特権を有した。
伝来 本文書群は狩宿村と小宿村の名主引継文書と推定され、応桑区長事務所に保管されてきた。事務所ができる前は、区長が持ち廻りで引き継いでいたとのこと。本文書群中には応桑地区以外の文書も散見されるが、伝存経緯は不詳。
数量 1755
年代 寛文7年(1667)~昭和11年(1936)
構造と内容 寛文7~明治8年狩宿村及び小宿村名主・戸長引継文書、明治8~22年応桑村戸長役場文書、明治22~昭和10年代第九(応桑)区長関係文書から成る。都区に江戸時代の狩宿村年貢割付状は元禄年間からのものがまとまって残っており、また小宿村の年貢皆済目録も寛政年間からのものがまとまって残っている。さらに、明治22年までの戸長役場文書及び明治22年以降の区長関係文書も比較的多数の帳簿が伝損している。
検索手段 長野原町応桑区有文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』31、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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