資料区分 古文書
請求番号 P9601
文書群名 千本木義夫家文書
伝存地 勢多郡新里村野(現桐生市)
出所 桐生市(旧新里村) 千本木義夫家
地名 勢多郡野村/南勢多郡野村/南勢多郡新里村大字野村/勢多郡新里村大字野/桐生市新里町野
旧支配 大胡領(牧野氏、天正18年~)/前橋藩領(酒井氏、慶長16年~)/前橋藩領(松平氏、延享4年~)/幕府直轄領(明和5年~)/陸奥泉藩領(本多氏、寛政2年~)/岩鼻県(明治元年~)/泉県(明治4年~)/第一次群馬県(明治5年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 勢多郡野村名主、野村戸長など
歴史 赤城山南東麓の緩斜面に位置し、ほぼ中央を鏑木川が南流する。近世の村高は、「寛文郷帳」162石余のうち田方101石余・畑方61石余、「元禄郷帳」も同高、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに267石余。神社は、塩釜・稲荷の各社。幕末の改革組合村高帳では、大間々寄場組合に属し、村高267石余、家数25。明治初期の『郡村誌』によると、幅員は東西7町余・南北13町余で総反別81町余、民業は、男で農桑を業とする者44戸、馬20。物産は、米・麦・蔬菜・桑・繭・生糸などで、自用のほかは大間々町へ移出するとある。
数量 273
年代 正保4年(1647)~明治37年(1904)
構造と内容 当文書群を年代別に分類すると、近世以前の文書207点(全体の75.9%)、明治期の文書53点(同19.4%)、近代・大正期の文書5点(同1.8%)、年次不詳文書8点(同2.9%)となっている。また、勢多郡野村の近世名主関係文書が186点(全体の68.1%)、勢多郡野村(南勢多郡新里村大字野村など)の近代文書が21点(同7.7%)、千本木家私的文書が66点(同24.2%)である。近世名主文書の内容は、「上州勢田之郡大胡東領 野村 御縄打水帳」「大胡東領野村御検地野帳」「野村絵図」「宗門御改帳 下書」などである。千本木家私的文書については、日嘉栄(控・日記、明治17年1月~明治27年3月)の22点が注目される。明治中期、赤城南麓地域の富農層の生活や天候等が具体的に記されている。
検索手段 千本木義夫家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 虫損・水損文書は、取扱注意の旨を記した。
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