資料区分 古文書
請求番号 P9704
文書群名 大谷典子家文書
伝存地 前橋市総社町
出所 前橋市 大谷典子家
地名 群馬郡植野村/西群馬郡植野村/西群馬郡総社町大字植野/馬郡総社町大字植野/前橋市総社町植野
旧支配 総社藩領/高崎藩領(寛永10年~)/前橋藩領(寛延2年~)/前橋県(明治4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
歴史 植野は古くは上野とも書いたという。利根川右岸に位置し、天狗岩用水がある。村高は「寛文郷帳」で490石余(田方38石余、畑方451石余)、「元禄郷帳」540石余、「天保郷帳」「旧高旧領帳」ともに526石余。大谷家は、江戸時代から植野村に在住し、「大野屋」の屋号で商売を営んでいた。江戸時代に村役人を務めていた形跡はないが、地租改正時の惣役人地主惣代を務めている。
数量 160
年代 明和元年(1764)~昭和15年(1940)
構造と内容 明治初年から20年代にかけての「金銀出入帳」や「当座帳」、「祝儀帳」、地券などの大谷家の私的文書が中心である。なかでも、明治前期の日常生活における金銭の出入を記した金銀出入帳は40点近くまとまっており、大谷家の生活の一端を知ることができる。江戸時代の年貢関係史料や養蚕関係史料、版本なども何点か含まれており、元治元年に開始される前橋城再築の際の人足覚(№66・67)などは興味深い。また、大正6・7年頃の総社町の義会議案・予算書なども10数点ほど見られる。
検索手段 大谷典子家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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