資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P9802 |
文書群名 |
林直家文書 |
伝存地 |
利根郡新治村猿ヶ京(現みなかみ町) |
出所 |
利根郡みなかみ町(旧新治村) 林直家 |
地名 |
吾妻郡猿ヶ京村/吾妻郡久賀村大字猿ヶ京/利根郡久賀村大字猿ヶ京/利根郡新治村大字猿ヶ京/利根郡新治村猿ヶ京/利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉 |
旧支配 |
沼田藩領(真田氏)/幕府領(天和元年~)/越後長岡藩預り地(寛延2年~)/幕府領(寛延3年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~) |
歴史 |
三国山南麓、赤谷川とその支流西川によってできた台地上に位置する。南東は赤谷湖に面する。村高は、「漢文郷帳」では175石余(田方1石余・畑方174石余)、「元禄郷帳」249石余、「天保郷帳」250石余、「旧高旧領帳」252石余、三国街道沿いの当村に関所が置かれていた。幕末の改革組合村高帳では須川村寄場組合に属し、高250石余、家数90。林家は猿ヶ京村の村役人を務めていたものと推測されるが、役職や文書伝来の詳細については不明である。明治10~30年頃には、「丸一」の屋号で馬喰(ばくろう)経営をしており、秋田や岩手県等から馬の買付けをしていたようである。その後、群馬郡金古町に医院を開業、昭和27年には、新治村青年団猿ヶ京支部の分団長を務め、現在は馬喰経営時代の屋号を残し、猿ヶ京で“旅館丸一"及び“ロッジガルニ"を経営している。 |
数量 |
827 |
年代 |
貞享4年(1687)~昭和35年(1960) |
構造と内容 |
資料は、①猿ヶ京村に関する文書と②林家の私的関係文書に分けられる。①には、猿ヶ京・合瀬村の貞享4年から明治元年までの年貢割付状や皆済目録など年貢に関する文書(130点余)、猿ヶ京村他3ヵ村(吹路・永井・合瀬)の村入用夫銭帳、三国往還の人馬継立や関所に関する文書、桑運上に関する文書等がある。又、明治期の文書には、明治22年、吾妻郡久賀村編入時の村編成にかかわる願書がある。②には、明治期の地券証(30点)、牛馬売上及び仕入帳等の馬喰経営に関する文書、官有地の使用願、保険料の領収証、陸軍師範学校及び戦地から家族に宛てた軍事郵便(73点)があり、少量ながら和本類・教科書類もある。その他、青年団々則・青年団事業計画・青年学級運営等、大正3年から昭和35年までの猿ヶ京青年団に関する書類がまとまっている。 |
検索手段 |
林直家文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
本文書の一部は林直家文書(H76-3-2近世③310)に県史複製資料として収録。『群馬県史』資料編12、『新治村史料集 』4など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。 |