資料区分 古文書
請求番号 P9907
文書群名 増田公平家文書
伝存地 吾妻郡吾妻町原町(現東吾妻町)
出所 吾妻郡東吾妻町(旧吾妻町) 増田公平家
地名 吾妻郡原町/吾妻郡吾妻町原町/吾妻郡東吾妻町原町
旧支配 沼田藩領(真田氏、~天和元年)/沼田藩領(本多氏、宝永2年~享保15年)/幕府領(~延享4年)/上里見藩領(松平氏、~明和4年)/幕府領(~文化8年)/水野壱岐守知行所(~文政10年)/幕府領(~明治)
役職等 吾妻郡原町名主
歴史 関ヶ原合戦後、真田信之が真田家の当主となった。「吾妻記」によると、慶長19年(1614)岩櫃城内に市を立てたところ徳川家康が不審とのことで、岩櫃城を破却して平川戸町から原町に移転し、吾妻原(観音原)の東にある槻の木と岩櫃山中腹の子持岩を結ぶ一直線上に町割をした。現在の原町であり、西の端に八坂社が祀られている。
数量 146
年代 享保13年(1728)~昭和10年(1935)
構造と内容 大部分が江戸時代の享保期~文化・文政期に至る原町の名主文書である。此を時代別に整理すると享保期の文書は沼田藩本多氏の治政、寛延4年(1751)から明和3年(1766)の文書は上里見藩松平氏の治政、明和8年以降は幕府領期の物でもので、増田家の先祖太右衛門が名主を務めていた時期と保母合致し、宝暦・明和期のン文書が多い。内容は原町の村政、土地、年貢・諸役などの関係文書であり、明治以降の文書はわずか2点にすぎない。
検索手段 増田公平家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』27、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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