構造と内容 |
藤岡郡役所折茂健吾郡長宛て楫取素彦書簡1点。内容は、前橋の楫取が、茂木賀内氏(役職不明)の後任に富岡警察署に在勤の三澤重礼はどうか、と藤岡郡役所の折茂郡長に進言(推薦)しているものである。▼三澤へは、折茂氏より内々に引き合わせ承諾を得てもらいたい。承諾を得られたらば、直ちに県庁へ具申してもらいたい旨記している。▼書簡の年代については、本文に5月16日、封筒に5月17日差し出し、郡役所は5月18日受付、と記されているが、年次は不明である。付属紙片に「九年八月廿五日受」と記されたものがあり、受入当時の担当者は明治9年5月16日としている。▼しかし、折茂健吾が緑埜・多胡・南甘楽郡を管轄する藤岡郡役所の初代郡長となったのは、明治11年(1878)のことであるから(明治19年8月退任)、当該書簡とは別のものと思われる。いわゆる第二次群馬県の県庁が前橋に正式決定されたのが明治14年である。楫取群馬県令(前橋)と折茂郡長の任期、三澤の転任時期などを考え合わせると、明治14年5月から同16年5月の間と考えられ、ここでは「明治16年(1881)カ 5月16日」とした。▼三澤は、明治17年4月に藤岡郡役所書記をつとめている(当館所蔵文書 群馬県史複製資料H8-15-1近現 51/4074、H8-15-1近現 51/4075 などより)。 |