資料区分 古文書
請求番号 P0006
文書群名 長見寺文書
伝存地 前橋市大友町
出所 前橋市 長見寺
地名 群馬郡大友村/西群馬郡大友村/西群馬郡元総社村大字大友村/群馬郡元総社村大字大友/前橋市大友町
旧支配 本山修験総本山聖護院・高崎藩領
役職等 上野国年行事職、修験道本山派京都聖護院の末寺、東部養蚕実行組合長
歴史 長見寺は修験道本山派の京都聖護院の末寺で、上野国の年行事職である。▼昔は東覚(学)院と号し、戦国時代には領主であった惣社長尾氏の祈願所であった。大友村の中央に「大友東ノ故砦」が築かれ、その跡地に建てられたとする(№1443)。▼寺領は7石(№69)、同資料に「長尾長見」の名が見られるが、長尾忠慶が出家して名乗ったとされる。▼文明18年(1486)聖護院道興が廻国した際に忠慶は聖護院末となり、その後慶長10年(1605)に寺号を長見寺に改めたようである(№1442)。▼本山修験宗の総本山である聖護院は、もと天台宗寺門派の大本山で、三門跡の1つ。室町時代の門跡道興准后は全国の熊野系山伏を歴訪し(群馬郡西国分村の大蔵坊に10日余り宿泊)、本山派と呼ばれる天台系修験教団の組織を確立した。その組織は聖護院を本山とし、京都にある住心院などの院家を中核とし、地方の修験や熊野先達などを通して全国の修験者を統轄した。
伝来 長尾家に伝来した。
数量 1684
年代 長保3年(1001)~昭和27年(1952)
構造と内容 文書館が収蔵する資料では数少ない寺院関係の資料群。①長見寺に関する文書群修験道関係の資料である。長見寺だけではなく全国の修験関係寺院に関する資料も多い。▼とくに京都の住心院や本山である園城寺との繋がりは深い。山伏が使用していた頭巾(ときん)(頭襟)や錫杖など道具類のイラストで確認でき(№16)、年行事職の役割なども記され(№103)、峯中に関する条目(№370)もあり山伏・修験寺院の実態が解明できるであろう貴重な資料である。▼「寺町勘秘聞集」(№628・629)は寺社奉行・町奉行・勘定奉行に関わる訴訟での問答集(伺いと回答など)で訴訟の在り方がよくわかる資料であるが、断片的にしか残っていないのが残念である。 ▼近現代では神仏分離令・修験禁止令により修験道は廃止となり、年行事職であった長見寺は改宗・統廃合など対応に追われている(№1469など)。▼典籍やそれを筆写した資料が多い。とくに幕末期~明治初期の住職である11世智則(知則・智即)は博覧強記の人で、多くの経典・記録類を書き写している。平安末期から近世初期の資料も多数筆写しており、原本ではないとはいえ貴重な資料である(№15・21など)。▼②群馬郡大友村に関する文書群慶安3年(1650)・万治3年(1660)の年貢割付状(№606-1・-2)は高崎藩安藤家の時代と思われる。▼近現代では戸長役場で作成した字別地引絵図帳が8冊ある(№1451)。
検索手段 長見寺文書仮目録、インターネット検索
関連資料 県史複製資料(H0-99-2近世)。▼本山派修験関連文書として、内山幹雄家文書(大蔵坊、PF0001)、栗崎智康家文書(日野坊、P8207)、浦野恒彦家文書(大乗院、P8907)、浦野安孫家文書(大乗院、和田山極楽院、P0603)、小幡宰太郎家文書(寶常院、P0503)、長尾貞治家文書(東覚院、P01902)、上杉うづ家文書(三宝院鷹巣寺、H10-24-1近世)、「吉井町郷土資料館文書9(伊藤幸吉家文書)」(矢田坊、H42-1-1(9)近世)など。▼『山伏の地方史 -群馬の修験道-』(みやま文庫)、「上野国本山派山伏名所記」(前橋市立図書館蔵、『前橋市史』6)など。▼(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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