資料区分 古文書
請求番号 P0007
文書群名 永井明家文書
伝存地 勢多郡赤城村三原田(現渋川市)
出所 渋川市(旧赤城村) 永井明家
地名 勢多郡三原田村/南勢多郡三原田村/勢多郡横野村/勢多郡赤城村三原田/渋川市赤城町三原田
旧支配 前橋藩領/幕府領・前橋藩相給(明和4年~)/前橋藩・山城淀藩相給(天明5年~)//第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
歴史 赤城山麓の崖上に位置する。北は滝沢川が、南は天竜川が流れる地域であり、西部が三原田、東部が上三原田である。東は溝呂木村、南は持柏木村・八崎村、西は樽村に接する。寛文郷帳では田方454石余、畑方206石余である。天和2年(1862)には上野村を、貞享2年(1685)には滝沢村が分村した。巡見使の往来には溝呂木宿の助郷を勤めた。文久3年(1863)和宮降嫁の際も、安中助郷を命じられた。明治初年淀藩領は上三原田村となった。永井家は白井長尾氏の家臣の家柄と思われる。
伝来 当館へ寄贈された。
数量 50
年代 元亀2年(1571)~昭和50年(1975)
構造と内容 本文書群は、白井長尾氏の家臣であったと思われる永井氏の文書である。中世文書と思われる資料が数点ある。(№5など)近世文書はおよそ30点。特徴的なのは寛文年間に武田信玄流軍法(甲州流ヵ)の秘伝が長尾景光から永井権兵衛に伝えられている。(№2・10・11)近現代文書はおよそ20点。主に上記資料を展示するためなどの借用書である。
検索手段 永井明家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 永井勝衛家文書(H12-4中世、H12-8-1近世)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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