資料区分 古文書
請求番号 P0101
文書群名 松倉一平家文書
伝存地 前橋市小坂子町
出所 前橋市 松倉一平家
地名 勢多郡小坂子村(天正18年~)/第三大区第三小区勢多郡小坂子村(明治5年~)/南勢多郡小坂子村(明治11年~)/南勢多郡芳賀村大字小坂子(明治22年~)/勢多郡芳賀村大字小坂子(明治29年~)/前橋市小坂子町(昭和29年~現在)
旧支配 前橋藩平岩親吉領(天正18年~)/前橋藩酒井忠世領(寛永12年)/前橋城主松平朝矩領(寛延2年)/前橋県(明治4年)/第一次群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/第二次群馬県(明治9年)
役職等 不明
歴史 小坂子村の村高は、「寛文郷帳」で602石余のうち田方503石余・畑方98石余、「元禄郷帳」も同高。 「天保郷帳」791石余、「旧高旧領」は「小阪子村」と表記し791石余。天明2年(1782) の人数466・家数125(「芳賀村誌」)。村内には、前橋城主となった酒井氏に従属した豪族 五十嵐荘左衛門の居城・西原城跡がある。 「郡村誌」によれば、税地は田地72町3反余・畑地40町6反余・宅地9町2反余・林(旧反別)350町。用水に使う湖沼が6か所。道路は、東西に大胡道が、南へ前橋道が通じていた。産物は、繭38石余・生糸20貫目・薪300駄で、全て前橋へ売り出す、とある。民業については、男が農桑業70戸、採薪を業とする者30戸、女で養蚕・製糸を業とする者200人とある。飼育牛馬数は、牡馬38・牝馬27。神社は、西新井に八幡神社、諏訪前に諏訪社、下中川に菅原社、向原に神明社、霞谷戸に愛宕社、岩ノ下に熊野社がある。寺院は、川畠に真言宗福徳寺がある。明治22年(1889)~昭和29年(1954)、芳賀村の大字となる。明治24年の戸数111、人口は男339・女326、水車場4。昭和29年、前橋市の町名となる。
数量 6
年代 明治7年(1874)10月9日 ~ 明治27年(1994)12月17日
構造と内容 本文書群のほとんどは、松倉喜重郎(喜十郎)の常備兵服役、西南戦争従軍と戦死、その後の遺族への生活支援金などに関わる文書である。№1「常備兵服役召集通知書」(明治7年10月)は、熊谷駅出発・東京鎮台入営の流れがわかる史料である。№2「小坂子村・松倉喜重郎、西南戦争戦死埋葬通知書」(明治10年6月)は、喜重郎が西南戦争の熊本県保田窪村における戦闘で負傷し入院、死去したことなどがわかる史料である。№3「寡婦扶助料支給受取通知書」(明治19年1月)・№4「寡婦扶助料支給受取通知書」(明治20年4月)・№5「陸軍恩給受取通知書」(明治23年1月)は、夫を戦争で亡くした妻「やす」への支援金給付に関するものである。№6「出戦者慰問金受取通知書」(明治27年12月)は、「やす」の息子と思われる元吉が日清戦争に出征し、その慰問金受取の役場出頭通知書である。
検索手段 松倉一平家文書仮目録、インターネット検索目録
関連資料 織間弥平家文書(P9104)など、阿部喜三郎「兵卒松倉喜重郎の徴兵令状と戦死公報」(『群馬歴史散歩』12)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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