資料区分 古文書
請求番号 P0103
文書群名 角田修家文書
伝存地 勢多郡赤城村津久田(現渋川市)
出所 渋川市(旧赤城村) 角田修家
地名 勢多郡津久田村(近世~)/ 南勢多郡津久田村(明治11年~)/ 勢多郡敷島村(明治22年~)/ 勢多郡赤城村津久田(昭和31年~)/ 渋川市赤城町津久田(平成18年~)
旧支配 幕府領/幕府領・旗本保々氏相給(宝永4年~)/前橋藩領・旗本保々氏相給(寛延3年~)
歴史 「寛文郷帳」によると田方217石余・畑方1063石余。利根川に面し、対岸は子持村白井である。棚下村、猫村長井小川田村などに隣接する。東は広大な赤城山麓の原野。山麓崖上の原野を沼田街道が南北に走る。寄託者である角田修氏の曾祖父保太郎氏は角田柳作(日本文化研究者、教育者、コロンビア大学に日本文化研究所を設立)の兄に当たる。
伝来 津久田村関係の近世文書及び角田家の私的文書(近代)は土蔵2階の桑折に収めて保管。角田柳作関係の書状や葉書類は修氏の父末男氏が整理し、段ボール箱に収め、母屋で保存してきたという。
数量 1383
年代 元禄6年(1693)~昭和61年(1986)
構造と内容 本文書群は、①近世の津久田村に関する古文書、②近現代の角田家に関する資料、③教科書類 およそ350点からなる。柳作の影響か英語・仏教(真宗)に関する教科書・典籍がみられる。④角田柳作に関する資料 書簡・はがきおよそ190点、明治23年(1890)~明治33年(1900)までで、主に兄保太郎とのやりとりである。時期として群馬県尋常中学校(現県立前橋高校)~東京専門学校(現早稲田大学)~京都在住の資料である。特に群馬県尋常中学校時代の資料は、同校が廃校の危機に見舞われ、ようやく授業を再開し始めるも、生徒によるストライキなども行われた混乱の時期のものである。書簡では校内の情勢が詳細に描写されている。なお柳作の書簡は清水てつ家文書(P8108 №1183、1924)、田村あい子家文書(P08506 №602)にも所蔵されている。柳作の写真・書も数点存在する。
検索手段 角田修家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 旧赤城村関係文書:旧赤城村津久田区有文書(P1204)、赤城第五区有文書(P8220)、第七区有文書(P8221)、第八区有文書(P8222)、第九区有文書(P8223)、永井友次郎家文書(P8313)、永井明家文書(P0007)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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