資料区分 古文書
請求番号 P0110
文書群名 福島英一家文書
伝存地 佐波郡境町(現伊勢崎市)
出所 伊勢崎市(旧境町) 福島英一家
地名 上野国新田郡南女塚村(寛永16年~)/上野国新田郡境村/岩鼻県新田郡境村(明治元年~)/栃木県新田郡境村(明治4年~)/群馬県新田郡境村(明治9年~)/佐波郡境町大字境村(明治22年~)/佐波郡境町大字東(大正6年~)/佐波郡境町東(昭和32年~)/伊勢崎市境東(平成17年~)▼※佐位郡境町(現伊勢崎市境)とは別である。
旧支配 旗本津軽氏領/幕府領(元禄元年~)/上総国貝渕(請西(じょうざい)藩)藩領(文政9年~)
役職等 新田郡境村の村役人(名主)など
歴史 村名の由来は新田郡・佐位郡の境界に位置していたためとされる。▼ 村高は「元禄郷帳」・「天保郷帳」では268石余。▼ 延享4年(1747)から文政9年(1826)まで足尾銅山役を勤め、人馬を出し利根川の前島河岸まで銅を運んだ。▼ 世良田村に東照宮が建立されると、宝暦13年(1763)にはその火防役を課せられた。また村内に日光例幣使街道が通っていたため宿場的な発展もあった。▼ 東隣の女塚村との境界にある土橋の普請整備役も課されていたとされる。▼ 産物は大小麦・大小豆・角豆・粟・胡麻・芋・荏などで、養蚕は繭売と引糸、女稼は木綿取をあげる。 農間渡世に生糸織物売買を行う者もおり、幕末から明治初期には1000両前後の取引が行われた。
伝来 文書群全体は、平成13年(2001)12月に福島英一氏より寄託申込を受け搬入、翌年3月寄託契約。今回(2020年度)公開した絵図は、平成28年(2016)5月追加寄託された。
数量 2051
年代 寛文4年(1664)~昭和31年(1956)
構造と内容 大半は江戸時代の古文書。▼福島家は境村の名主を務めたことにより、年貢などの割付状(およそ140点)・皆済目録(およそ150点)は元禄年間から幕末まで、宗門人別帳(およそ60点)は寛政以後、多数残存する。地域的な特徴としては世良田東照宮の修覆・警衛、日光例幣使街道の伝馬・助郷など、上総国での陣屋普請のための諸役賦課などの資料がみられる。▼追加公開(2020年度)は「上野国全図」1点。天保11年に無(む)溟(めい)金寿平、すなわち金井研香(1806~1879年、金井烏州の末弟)が福島家の先祖福島源次郎真英らに依頼され書写した絵図である。▼研香は現在の伊勢崎市境島村に生まれ、江戸で谷文晁などに学んだ画家。
検索手段 『群馬県立文書館収蔵文書目録30』佐波郡境町東 福島英一家(分類別)、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。▼山田研究室調査分は伊勢崎市(旧境町)指定文化財(東町福島家文書)。
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