資料区分 古文書
請求番号 P0202
文書群名 市村平八郎家文書
伝存地 吾妻郡長野原町大津
出所 吾妻郡長野原町 市村平八郎家
地名 吾妻郡坪井村・勘場木村・立石村(江戸時代)/吾妻郡大津村(明治5年~)/吾妻郡長野原町大津(現在)
旧支配 沼田藩領(真田氏、近世初期)/幕府領(元和元年)/旗本領(深津氏、元文5年~/伊丹氏、寛延2年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 坪井村名主、勘場木村名主、立石・勘場木兼帯名主など
歴史 江戸時代の吾妻郡坪井村・、立石村・勘場木村は吾妻川及びその支流の遅沢川の左岸の河岸段丘上に位置し、街道は草津道と真田道が通じている。明治8(1875)年には、この3ヵ村は大津村として合併している。市村家は、元来、吾妻郡今井村(現嬬恋村)の出身であったという。その後、同郡立石村草木原に居住し、代々平兵衛の名を襲名していた。坪井村、勘場木村、また両村の兼帯名主として名が散見される。明治期以降は、大津村伍長や区長、諏訪神社の惣代などを務めた。また、初代平四郎(冨五郎)は俳人坂上竹烟(一夏庵)に師事し、多くの作品を残したことで知られる。
伝来 旧吾妻郡立石村の市村家に伝わる文書群。一部、信濃国更級郡塩崎村周辺の村方文書が含まれる。これは平八郎氏が旅館の古い襖の下張りを剥がしたもので、文化・文政期~幕末期の相続・縁組関係文書が多い。
数量 516
年代 延宝3年(1675)~昭和46年(1971)
構造と内容 江戸時代の延宝期から昭和戦前期のものであり、内容は近世の吾妻郡坪井・勘場木・立石村文書、近代の大津村関係文書、市村家の私的関係文書と記録・典籍類に大別できる。
検索手段 市村平八郎家文書目録、『群馬県立文書館収蔵文書目録』27、インターネット検索目録
関連資料 長野原町第六区有文書(P8811)、黒岩今朝松家文書(P8812)、浅見喜義家文書(P08426)、湯本正喜家文書(P8904)、市村了家文書(P9002)、市村一夫家文書(P9003)、『長野原町誌』、『群馬県史』資料編11、『群馬県吾妻郡誌』、『長野原町の古文書』など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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