資料区分 古文書
請求番号 P0305
文書群名 渡邊良一家文書
伝存地 多野郡新町(現高崎市)
出所 多野郡新町(現高崎市新町) 渡邊良一家
地名 緑野郡落合新町・笛木新町/新町/新町駅/川岸町/高崎市新町
旧支配 岩鼻県(慶応4年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
歴史 新町は、明治22年(1889)以降、初め緑野郡、明治29年からは多野郡に所属。▼明治24年の戸数508、人口は男1,205・女1,266、学校1、船31。同29年の戸数508、人口2,684。▼同31年緑野馬車鉄道が開業し新町~藤岡間に開通、2年後に鬼石まで通った。▼同38年山十組新町製糸所、大正6年(1917)には丸茂製糸所が開業し、前橋市に次ぐ県下第2位の製糸業地として発展した。▼大正9年の戸数968・人口6,908(「新町明治百年史」)で、うち女100人に対する男の人口割合は59.4人(「多野藤岡地方誌」)。▼女工が多く、新町が交通の町から糸の町へ移っていったことを示している。▼大正6年、各町名を改め、宮本町を1区、仲町を2区、橋波町を3区、笛木町を4区、諏訪町を5区、八坂町を6区とした。同7年には7区を同12年には4区を分けて8区を増設。昭和62年(1987)時点で10区まであった。▼大正9年、乗合自動車営業開始。運転区間の許可申請は、新町~藤岡間、新町~本庄間、新町~玉村間。▼大正期から昭和期にかけては不況が続き、製糸関係の工員(女工)数が減少した。▼昭和10年の戸数1,652・人口9,278(「新町明治百年史」)。このうち女100人に対する男の割合が65.7人となった(「多野藤岡地方誌」)。▼同年には烏南開田事業が完成し、20町が開田されたが、養蚕を専業としていた川岸町(7区)の人々には大いに役立った。▼太平洋戦争中は、多くの工場が軍需省の管理下に置かれた。新町は、空襲による被害はなかった。▼昭和26年、警察予備隊(現自衛隊)を誘致。昭和30年の戸数2,345・人口12,476(「新町明治百年史」)。▼昭和31年、新町鐘紡工場製糸部(旧新町屑糸紡績所)が廃止され、製糸業は戦前の盛況を失ったが、その後新たな各種工業が盛んになった。
伝来 新町の渡邊家に伝来した資料。当館へ寄贈された。
数量 10
年代 明治38年(1905)~昭和30年(1955)
構造と内容 主に明治期の字典と昭和戦前期の雑誌付録冊子・地図資料からなる。地図は6点あり、中でも「満州志那全土明細地図」(満州国全図、上海・南京附近図)は、満州国の歴史・地理を理解する上で貴重な史料である。
検索手段 渡邊良一家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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