資料区分 古文書
請求番号 P0409
文書群名 中島英子家文書
伝存地 北群馬郡吉岡町
出所 北群馬郡吉岡町 中島英子家
地名 群馬郡大久保村/西群馬郡駒寄村大字大久保/北群馬郡駒寄村大久保/北群馬郡吉岡村大久保/北群馬郡吉岡町大久保
旧支配 白井藩領(~寛永5年)/幕府領・旗本領(寛永5年~)/前橋藩領(酒井氏、延享4年~)/前橋藩(松平氏、寛延2年~)
役職等 群馬郡大久保村名主・組頭など
歴史 榛名山東麓の台地が利根川に接する地域。南東の大久保集落と北西の溝祭集落に分かれる。大久保集落は佐渡奉行街道ぞいに発達し、宿が置かれた。村高は「天保郷帳」で1237石余。地味・水利ともに稲作に適さなかったようで、古くから養蚕が盛んであった。
伝来 北群馬郡吉岡町の中島家に伝来した文書群。当館へ寄贈された。
数量 636
年代 寛文6年(1666)~昭和47年(1972)
構造と内容 主に群馬郡大久保村の名主文書。名主としての業務・動向など書き留めた万日記(№1~14など)・嘆願書などを書留めた「御願書控帳」(№62~95)など記録資料が多く存在する。宗門人別帳(№31~54など)・年貢割付状は寛文~天保と幅広い年代で約140通確認できる。年代による書状の形式・紙質・村中の組割などの変遷が窺える興味深い資料である。文化的な史料として華道、和歌・俳諧関係が多く存在する。華道は池坊と千家古流・遠州流に関する史料がある。とくに池坊関係は家元専意・専純からの書状(№200・246-1~-20)が確認され、惣七元棟・宇右衛門元昭父子は京都の六角堂へ入門し直接指導を受けていたのではないかと考えられる(№225、№246-19・-20)。和歌・俳句も盛んであったようで、歌集・句集が多く残っている。高野山清浄心院に菩提を弔う月牌が数点残されている(№149など)。享保年間の秩父巡礼に使用された麻製の道中衣も現存する。(№548)近現代では五・一五事件の実態を一年後に報じる新聞が残されている(№439~441)。
検索手段 中島英子家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 中島宇右衛門家文書(H34-7-2近世)に県史複製資料として収録。など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。また虫損・破損など損傷が著しい文書があるので注意して取り扱って頂きたい。
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