資料区分 古文書
請求番号 P00808
文書群名 前沢一男家文書
伝存地 前橋市表町
出所 前橋市 前沢一男家
地名 前橋市表町1~2丁目(昭和41年~)。これ以前は、前橋市田中町と紅雲町・石川町・南曲輪町・前代田町・堀川町・田町・相生町・天川原町の各一部であった。地名は、市の表玄関にあたるJR両毛線前橋駅の南北にあることによる。
旧支配 前橋藩平岩親吉領(天正18年~)/前橋藩酒井重忠(慶長6年~)/前橋藩松平朝矩(寛延2年~)/前橋県(明治4年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
伝来 当館へ寄贈された。
数量 1
年代 大正10年(1921)9月以降の発行か
構造と内容 本文書群は、『皇太子殿下渡欧 第三艦隊記念写真帖』の1点である。これは、大正10年(1921)、当時の皇太子(後の昭和天皇)が軍艦2隻で渡欧した際の記念写真帳・第三艦隊員名簿である。▼同年3月3日、横浜港を出港し、香港・シンガポール・スエズ運河・エジプト・マルタ島に寄港して英国を中心に訪問・見学した。その後、フランス・ベルギー、オランダも訪問し、帰路はイタリアの各地にも寄港、9月3日に横浜港に帰港した半年間に及ぶ旅であった。▼また、軍艦鹿島・香取の乗組員に関することなどを知る上でも貴重な史料である。前沢家の先祖の一人が、軍艦鹿島の乗組員であったことから入手したものと思われる。▼写真については、「皇太子殿下閑院宮殿下供奉高等官一同」、「軍艦香取」「軍艦鹿島」全景、「香取総員」「鹿島総員」などから始まる。以下、渡欧の経路を写真でたどる。▼「三月三日横浜ニテ香取御乗艦」「横浜出港第一艦隊ノ奉送」「沖縄与那原ニ御上陸」「台湾ノ南端ニテ新高の奉送」「香港市街」「新嘉坡市街」「古倫母御上陸ノ殿下」「カンディーニ於ケル殿下」「スエズ運河ノ通過」「エジプトカイロ統監府」「地中海マルタ入港」「ジブラルター入港」「英国スピットヘッド入港」「ポーツマス桟橋繋留」「ポーツマス市長招待兵員ノ郊外回遊」「倫敦ビクトリア停車場ニ御着ノ殿下」「バッキンガム宮殿前ニ於ケル奉迎日本人」「ギルドホール前ノ殿下」「ロンドン塔」「大英博物館ニ於ケル殿下」「ケンレー飛行場」「オックスフォード エグゼターコレツヂ行啓」「ケンブリッヂ前ノ殿下」「スコットランド エヂンバラー城ニ於ケル殿下」「ポーツマス御帰着」「五月三十日仏国アーブル入港」「巴里エッフェル塔ニ於ケル殿下」「コンコルド橋」「仏国ランス・ノ戦跡」「ベルダン戦線ノ砲台」「白耳義ブラッセル市裁判所玄関ニ於ケル殿下」「殿下和蘭皇配殿下ト御同乗アムステルダム御発」「英国ポートランド入港」「ウェーマス海岸」「ポートランド出港」「六月三十日仏国ツーロン入港」「ツーロン出港」「兵員ノマルセーユ見学」「七月十一日伊国ナポリ入港」「ヴェスビオ火山噴火口」「ローマ市街」「コロシヤム」「ポンペイ見学兵員ノ一行」「ナポリ出港」「スエズ運河ニ入ル」「亜丁港」「印度洋モンスーレ中ノ航海」「古倫母ニテ同総督御招宴ノ際」「館山湾ノ御仮泊」「九月三日横浜御着港ノ祝砲」、そして「東京駅前御通過」が掲載写真の最後である。▼後部には、「乗員名簿」(供奉員、第三艦隊、軍艦鹿島、軍艦香取)が掲載されているが、一部が破損し裏打ち補修がなされている。
検索手段 前沢一男家文書仮目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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