資料区分 古文書
請求番号 P00809
文書群名 清水照治氏収集文書
伝存地 前橋市宮地町
出所 前橋市 清水照治氏収集
地名 群馬郡宮地村/東群馬郡宮地村/東群馬郡上川渕村大字宮地/前橋市宮地町
旧支配 前橋藩領(平岩親吉、天正18年~)/前橋藩領(酒井雅楽頭忠世、寛永12年~)/前橋藩領(松平大和守朝矩、寛延2年~)/前橋県(明治4年~)/第一次群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/第二次群馬県(明治9年~)
役職等 不明(名主文書の一部か)
歴史 宮地村は、村高「寛文郷帳」で464石余のうち田方423石余・畑方41石余、「元禄郷帳」も同高。「天保郷帳」511石余、「旧高旧領」も同高。反別は、元禄2年(1689)に36町余、うち田32町8反余・畑3町1反余、同年開発の新田が下畑5町1反余、など。▼文政12年(1829)には、大工1・屋根萱葺職人1の職人がいた。天保5年(1834)に新建百姓が2軒入り、安政5年(1858)の家数27(『前橋市史3』)。赤城神社がある。▼明治時代の「郡村誌」によると、村の広さは東西8町38間・南北6町5間、税地は改正反別で田34町余・畑14町4反余・宅地3町3反余。貢租は、地租が米95石余・金43円余、賦金10円余。戸数33・人数176(男85・女91)、馬10。物産は、繭15石余・生糸10貫余。
伝来 当館へ寄贈された。
数量 1
年代 寛文10年(1670)2月
構造と内容 寛文10年(1670)2月の「東上州群馬郡前橋領宮地村水帳」1点(竪1冊)である。宛は、大屋勘太夫・青木源三右衛門・天野九左衛門である。宝暦9年(1759)正月に本帳(寛文10年2月)を書写した文書である(持主 源次郎)。▼内容は、惣合41町8畝14歩、上田合5町8反9畝6歩、中田合3町6反4畝10歩、下田合13町1反7畝17歩、下々田合10町2反3畝15歩、中畑合5反6畝20歩、下畑合5町9反2畝歩、屋敷合1町6反5畝6歩、内5畝歩 御蔵屋敷、薮合9反2畝5歩、堀合8反8畝7歩、など。▼酒井忠挙が実施した領内改め検地の際の水帳と考えられ、貴重である。
検索手段 清水照治氏収集文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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