資料区分 古文書
請求番号 P00810
文書群名 飯塚洋子家文書
伝存地 渋川市上白井(旧子持村)
出所 渋川市(旧子持村) 飯塚洋子家
地名 群馬郡上白井村立和田/西群馬郡上白井村立和田(明治11年~)/西群馬郡白郷井村大字上白井村立和田(明治22年~)/北群馬郡子持村上白井(昭和35年~)/渋川市上白井(平成18年~)
旧支配 白井藩(~元和9年)/幕府領/幕府領・旗本萩原氏2給(天保15年~)/前橋県(明治4年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 西群馬郡上白井村会議員、西群馬郡上白井村外一ヶ村聯合村会議員、大日本武徳会群馬支部剣道教授教士
歴史 利根川の右岸、子持山の東南麓に位置する。北は利根郡岩本村と南は中郷村と接する。▼宝永4年(1704)に群馬郡・利根郡郡境相論が発生し、「元禄国絵図」で再確認している。▼天明3年(1783)の浅間焼けでは麦作・養蚕など相当の被害を被ったようである。▼村高は寛文では713石。うち田方11石余・畑方711石余。天保期には2給となり、幕府領が363石余・旗本領が349石余である。▼幕末の改革組合村では上白井寄場組合に属している。《参考文献》『角川地名大辞典 10』、『群馬県の地名』
伝来 当館へ寄贈された。
数量 1109
年代 元禄8年(1695)~昭和31年(1956)
構造と内容 近世文書は約250点。ほとんどが田畑の質入れや売買に関する証文類である。▼担保になる土地は、一般的には面積(反・畝・歩)が記載されるが、1750年頃までは面積にかわって「○斗(升)蒔き」となっている(№678・690など)。▼ほかには縁組などの送り・引取状などが40点ある。▼近現代文書は約725点。やはり土地売買・借金などの証文類が多い。▼その他剣術に関わる文書も多い。飯塚氏は一刀流の流れをくむ流派に属していたようであり、目録など(№736~748、755~761)が多数存在する。▼本文書群の特徴として、近世・近現代を問わず本来「上白井村」・「白郷井村」と記載されるべきところ「立和田」・「直(すぐ)松(まつ)」などの小字が頻繁に記載されていることや、逆から折られている文書が多いことがあげられる。
検索手段 飯塚洋子家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 同じ旧子持村の文書群として「北牧総代管理文書」(P9106)、「阿久澤順一家文書(PF9407)」など(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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