資料区分 古文書
請求番号 P0905
文書群名 富澤久幸家文書
伝存地 吾妻郡吾妻町(現東吾妻町)
出所 吾妻郡東吾妻町(旧吾妻町) 富澤久幸家
地名 吾妻郡原町/吾妻郡原町大字原町/吾妻郡吾妻町大字原町/吾妻郡東吾妻町大字原町(平成18年~現在)
旧支配 沼田藩領/幕府領(天和元年~)/沼田藩領(宝永8年~)/幕府領(享保15年~)/篠塚藩領(延享4年~)/上里見藩領(寛延元年~)/幕府領(明和4年~)/駿河沼津藩領(文化8年~)/幕府領(文政10年~)/一部が旗本領(大久保氏、文政11年~)/岩鼻県(明治元年~)/群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~)
役職等 吾妻郡原町の名主など村役人
歴史 薬師岳東麓、吾妻川中流左岸に位置し、東境で同川と四万川が合流する。地名は、元和2年平川戸町から移町した時の地名吾妻原(観音原)が、原の新町・原の町・原町となったものである(『原町誌』)。▼村高は「寛文郷帳」では493石余のうち田方116石余・畑方377石余。「元禄郷帳」では1198石余。「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1211石余。▼当町は、町組が上之町組・下之町組に分かれ、ほかに在組として山根組・上野組・須郷沢組の3組。▼「改革組合村高町」によれば、原町在組と原町の2組に分かれており、ともに中之条町寄場組合に属し、原町在組の高159石余・家数108、原町の高902石余・家数199。▼富沢家は代々久兵衛を名乗り名主などの村役人を務めた。家業として酒屋・質屋業、明治後期~昭和前期にかけて旅館を経営(富久寿館)していた。
数量 3379
年代 永録7年(1564)~昭和22年(1947)
構造と内容 文書は①原町の地方文書、②富沢家の経営並びに私的文書に分けられる。▼①の文書には、中之条町・原町間の市出入り文書、吾妻川通船に関する文書などがある。▼②の文書には、富沢家草創に関わる中世文書の写や、俳諧などの文芸史料、謡や囃子方の稽古本、そのほか手習い本、往来物などもある。
検索手段 富澤久幸家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 原町関係文書として増田公平家文書(P9907)など、吾妻町教育委員会所蔵文書(H62-1-1近世)、上原政枝家文書(H62-1-2近世)、湯浅雄次家文書(H62-1-3近世)、高見沢政治家文書(H62-1-4近世)、顕徳寺文書(H62-1-6近世)、山口恵一家文書(H62-1-2近現)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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