資料区分 古文書
請求番号 P01004
文書群名 大芝猛家文書
伝存地 群馬県
出所 群馬県 大芝猛家
役職等 群馬県知事、弁護士、裁判所判事、検事、内務官僚、衆議院議員など
歴史 本文書は大正2年(1913)10月27日付の原敬から群馬県知事大芝惣吉宛書簡一通である。▼大芝惣吉は山梨県出身で弁護士、裁判所判事、検事、警察部長などを歴任し、大正2年、福島県内務部長から群馬県知事(政友会系知事)となった人物である。しかし非政友会系の大隈重信内閣が成立すると知事を退任した。▼衆議院議員の後、佐賀県知事を経て、大正8年(1919)に再び群馬県知事となった。大芝惣吉は政友会総裁原敬の直系といわれ、群馬県会で少数であった政友派を多数派にするなど、政友会の党勢拡張に力を発揮した。▼第一次世界大戦の好景気や産業発展に対応するため、大道路政策をはじめ蚕業奨励などに大予算を組んで積極政策を推進した。▼大正11年(1922)、宮崎県知事に転任後、病気となり休職ののち死去した。(『群馬新百科事典』98頁参照)
伝来 本文書は大芝家に伝来し、大芝惣吉の孫にあたる大芝猛氏(名古屋工業大学名誉教授、理学博士)により、平成22年(2010)6月15日に文書館に寄贈された。
数量 1
年代 大正2年(1913)
構造と内容 本文書が作成された大正2年10月27日当時、山本権兵衛内閣の内大臣であった原敬は、前日の10月26日から家族とともに塩原温泉米屋旅館に滞在していた。(『原敬日記』参照)書簡の入った封筒の裏書きに「野州塩原米屋方」とあり、本文書が米屋旅館滞在中に書かれたものであることが分かる。書簡の主な内容は学校整理問題についてであるが、文中には「葉住・根岸両代議士」「県会議長星野」「参事会員入沢・岡田・今井」など群馬県関係者の名前が見え、政友会への入党を示唆する内容も折り込まれており、大芝惣吉の党勢拡張策の実態をうかがい知ることのできる貴重な史料といえる。
検索手段 大芝猛家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 原本保護のためコピー閲覧。
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