資料区分 古文書
請求番号 P1007
文書群名 小林康章家文書
伝存地 吾妻郡嬬恋村
出所 吾妻郡嬬恋村 小林康章家
地名 吾妻郡田代村/嬬恋村大字田代
歴史 本文書群のうち、中世文書に関する内藤氏は戦国大名武田氏の重臣である。▼信玄の時代に内藤昌豊(昌秀)は上州箕輪城代をつとめたが、天正3年(1575)長篠合戦で昌豊は戦死した。▼武田氏滅亡後は北条氏に仕えたが、その後没落し、近世では信州穴原村へ土着した。▼▼小林家は近世文書に関する文書がほとんどなく、実体は不明である。旅館(紅葉館)を経営しており、昭和30年代には自家発電を行っている。
伝来 小林家に伝来した文書群で、このうち内藤家に関する文書群は長野県八千穂村穴原の内藤家から当家に婿養子に入った際に持参されたと伝えられる。
数量 103
年代 天文7年(1538)~昭和43年(1968)
構造と内容 本文書は大きく2つに分類できる。▼①内藤氏関係文書:戦国大名武田氏の重臣で、箕輪城代であった内藤氏に関する文書群である。中世文書(写しを含め)が5点ある。(№1~5)▼いずれも家臣内藤昌豊(昌秀)に関するもので、さらに系図(№8・9)・由緒書(№10)・過去帳(№11・12)などもある。▼▼②小林家関係文書:近世文書はごくわずかだが吾妻郡田代村の年貢割付状がある。(№19~27)▼また、鹿沢温泉旅館紅葉館を経営し、昭和30年代に自家水力発電を行っているため、その設計図や申請・認可などの近代文書が多い。
検索手段 小林康章家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 武田氏の中世文書の原本として武孫平家文書(P8112)、青木一枝家文書(P09805)、浦野安孫家文書(P0603)など。▼他に群馬県史収集複製資料などがある。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 特になし
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