資料区分 古文書
請求番号 P1009
文書群名 木曽義久家文書
伝存地 渋川市北橘町
出所 渋川市(旧北橘村) 木曽義久家
地名 勢多郡北橘村
役職等 武田家家臣、下総国海上郡阿知戸城主、伊予松山藩客分、尾張藩士、20人扶持奥医師、大奥向御用
歴史 木曽家は木曽義仲の子孫といわれている。戦国時代には武田信玄に従い、信州の木曽地方を支配した。当主である義昌は信玄の娘婿である。武田氏滅亡後は徳川氏に従い下総国に転封されたが、慶長5年(1600)に改易される。伊予松山藩の客分となり、のちに尾張藩へ仕官した。享保年間に家禄預けとなり、大和国に移住したようである。その後剣術修行で江戸に出て、天保3年(1832)に義長(芦原検校)は20人扶持奥医師・大奥向御用として幕府に召し抱えられ、将軍をはじめ諸侯に鍼灸治療を施した(№1)。明治時代になって東京から旧北橘村へ移住したようである。
数量 165
年代 天保9年(1838)~大正14年(1925)
構造と内容 系図など、先祖である木曽義仲・戦国期の木曽義昌に関する資料(№1,5,6,119など)があるが、近世資料はきわめて少ない。多くは近代以降の資料で、そのほとんどが書簡である。また橘尋常高等小学校で教鞭を執っていたようで、辞令が多く残されている(№129~133,159~161)。賞状や卒業証書などもあり、学校に関する資料群である。
検索手段 木曽義久家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 根井幸江家文書(P9409、木曽氏旧臣)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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