資料区分 古文書
請求番号 P1014
文書群名 馬場晴信家文書
伝存地 北群馬郡吉岡町
出所 北群馬郡吉岡町 馬場晴信家
地名 群馬郡北下村/西群馬郡北下村/西群馬郡明治村/北群馬郡明治村/北群馬郡吉岡町北下
旧支配 高崎藩領/幕府領(元禄11年~)/旗本領(六給:川勝氏など)
役職等 北下村組頭・名主など
歴史 榛名山西麓に位置し北縁を吉岡川、南部を駒寄川が東流する。寛文年間に下村が北下村・南下村に分村して成立した。寛文郷帳では下村と記載されている。元禄郷帳では村高655石余。安政2年の組合村柄書上帳によると家数110、人数は男210・女227・馬15である。地内には三国街道が通り、同街道沿いには民家が密集し宿新田と呼ばれた。馬場家は戦国大名武田氏の重臣馬場氏の末裔を称している。近世では馬場三太夫重久が「養蚕育手鑑」を著した。馬場鍬といわれる手鍬を発明し、桑苗などの品種改良にも尽力した。馬場協安・その子吉兵衛信晴は医師のかたわら寺子屋教育にも携わった。
数量 478
年代 寛文8年(1668)~昭和24年(1949)
構造と内容 おもに群馬郡北下村関係の近世文書である。中世文書はないが馬場氏の系図が数点確認できる。(№3~5)特徴として証文の類や書状が多い。年貢や諸役の減免で旗本の役人と思われる人物と交渉する書状も多く少々内容が複雑である。近代文書もあり、こちらも証文が多い。
検索手段 馬場晴信家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 (参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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