資料区分 古文書
請求番号 P1103
文書群名 土屋喜英家文書
伝存地 高崎市四ツ屋町
出所 高崎市 土屋喜英家
地名 高崎市ほか
旧支配 高崎藩領/高崎県/第一次群馬県/熊谷県/第二次群馬県
役職等 土屋老平は高崎藩主大河内輝声歌道師範、郷土史家
伝来 本文書群は、土屋喜英家に伝来したものと喜英氏が購入・収集したもの、366点(№1~388)と、本多夏彦氏が収集した史料の内、おもに漢詩・俳諧などの文芸関係資料162点(№389~498)を土屋喜英氏が譲り受けものである。平成23年土屋喜英氏より寄託された。
数量 528
年代 元和2年(1616)~昭和12年(1937)
構造と内容 資料は、①土屋家に伝来したものと、喜英氏が購入及び収集した資料、②本多夏彦氏が収集した俳諧関係資料に分けられる。▼①土屋家に伝来した土屋老平・武居世平・武居梅坡関係資料として、「老平」の名で18点、亡父世平追善歌会を大信寺にて催行の案内(書状)、和歌短冊など、「石文」の名で10点、『上野志』の書写など。▼「世平」の名で57点、和歌短冊・扇面など。「梅坡(梅堤)」の名で14点、扇面画など。▼土屋老平(おいひら)は、幕末・明治時代の歌人、郷土史家。天保12年生まれ。武居世平(よひら)の次男。▼歌を橘冬照・橋本直香(なおか)にまなび、父とともに高崎藩主大河内輝声(てるな)の歌道師範をつとめた。明治20年10月19日死去。47歳。▼高崎出身。通称は補三郎。号は和堂・歌の屋。狂名は2代菫庵石文(すみれあんいしぶみ)。名は「としひら」ともよむ。▼著作に「片岡郡志」など。▼武居世平(よひら)は江戸後期・明治時代の歌人、狂歌師。寛政10年生まれ。和歌を橘守部に,狂歌を宿屋飯盛(石川雅望)にまなぶ。▼狂歌の結社高崎水魚連を結成して万延元年「狂歌三才集」を出版。高崎藩主大河内輝声(てるな)の歌道師範をつとめた。明治14年1月31日死去。84歳。▼名は公徳。通称は善次。別号に古調園。▼武居梅坡(ばいは/梅堤)は明治時代の日本画家,狂歌師。天保2年生まれ。岡本秋暉(しゅうき)らに絵をまなぶ。▼武居世平(初代菫庵東雄(すみれあん-あずまお))の次女と結婚。3代菫庵をつぎ、高崎水魚連の判者となった。明治38年2月12日死去。75歳。▼姓は金井、のち武居。名は馨。通称は起一郎。狂歌名は十時園四起。▼▼②本多夏彦氏が収集した資料の内おもに漢詩・俳諧などの文芸関係資料。高崎周辺の漢詩人(高崎藩士)・俳人(西馬)などの作品である。▼志倉西馬(しくらさいば)は江戸時代後期の俳人。文化5年生まれ。高崎の児玉逸淵(いつえん)にまなぶ。▼のち江戸にでて惺庵(せいあん)をひらき、宗匠として活躍。「俳諧七部集」の定本づくりにつとめ、没後弟子の三森(みもり)幹雄らにより「標注七部集」として刊行された。▼句集に「西馬発句集」など。安政5年8月15日死去。51歳。本姓は富処。名は弘門。字は俊明。別号に樗道、毛軒、惺庵など。
検索手段 土屋喜英家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 土屋老平著作文書(高崎市指定文化財、個人蔵)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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