資料区分 古文書
請求番号 P01207
文書群名 若林茂生家文書
伝存地 前橋市
出所 前橋市 若林茂生家
役職等 越前松平家家臣(慶長17年 高100石)/大垣藩戸田家家臣(寛永9年 高150石)/松平家家臣(寛文3年頃~ 高500石→200石→150石)▼大坂の陣の際は近江国膳所(ぜぜ)城代(戸田家)。使番・大目付・物頭・小書院物頭など(松平家)。
歴史 若林家は前橋藩士の家柄である。慶長17年(1612)に越前松平家から越前国内に高100石を与えられた(№1)。▼しかし大坂の陣では膳所藩戸田家家臣として、初代又左衛門は城代として膳所城を守り、二代吉雄(世我)は出陣して手柄を立てている。▼よって慶長17年6月~19年までに松平家を致仕し、戸田家に仕官したのではないかと思われる。▼その後戸田家は摂津国尼崎から美濃国大垣へ国替えとなった。寛永9年(1632)に藩主戸田氏鉄から高150石を(№70)、承応2年(1653)には氏信から50石加増されている(№71)。▼その後何らかの理由で戸田家を致仕し、寛文年中松平家に復帰していたようである(№72)。その後は松平家に仕え、明治維新を迎えた。▼若林家はもともと豊田姓を名乗っているが、その関係は不明である。
伝来 当館へ寄贈された。
数量 361
年代 慶長17年(1612)~昭和19年(1944)
構造と内容 前橋藩士若林家の文書群。領主からの知行宛行状などが多い(№1・70・73など)。▼また宛行状だけではなく藩からの呼出状がおよそ30通あり、加増や役職に就いた日時がはっきりしている(№91・122など)。▼天保以降の異国船渡来に関する史料(№3・115・118など)は豊富であり、藩の動向などがよくわかる。▼若林家は藩から相模国の海防を命じられ、川越~江戸~大津陣屋を頻繁に往復している(№108など)。▼近現代文書は明治期の書簡・借用金証文が多い。
検索手段 若林茂生家文書目録、インターネット検索
関連資料 前橋藩士関係としては、「前橋藩松平家記録」(PF811)、栗間良輔家文書(P0010)、川木敏夫家文書(P8712)、和田正雄家文書(P8808)、鹿沼誠家文書(P08809)、八木健次家文書(P09702)、多加谷敏則家文書(P1108)、豊田芳郎家文書(P08107)、寒河江家文書(PF8407)、斎藤忠一家文書(P09506)、井田笑子家文書(P8001)、速水益男家文書(P8315)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 破損・虫損など保存状態がよくない文書があるので丁寧に取扱いいただきたい。▼「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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