資料区分 |
古文書 |
請求番号 |
P01507 |
文書群名 |
久保田壽一家文書 |
伝存地 |
伊勢崎市香林町(旧佐波郡赤堀町) |
出所 |
伊勢崎市(旧赤堀町) 久保田壽一家 |
地名 |
佐位郡香林村(近世~)/佐位郡赤堀村大字香林(明治22年町村制~)/佐波郡赤堀村大字香林(明治29年~)/佐波郡赤堀町大字香林(昭和61年~)/伊勢崎市香林町(平成17年~現在) |
旧支配 |
近世初め幕府領/寛文2年(1662)前橋藩領/明和4年(1767)幕府領/天保10年(1839)上総国貝淵藩領/天保12年幕府領/天保14年旗本土岐氏領/幕末期の改革組合村では伊勢崎町寄場組合/明治元年(1868)岩鼻県/明治4年第一次群馬県/明治6年熊谷県/明治9年第二次群馬県 |
役職等 |
佐位郡香林村名主、近世期の御林守(おはやしもり)、明治初期の戸長、官林守、村会議員(昭和初期)等 |
歴史 |
久保田家は、過去帳(紙片と折本あり、両者とも引き続き同家で保管)によると、傳右衛門(永正17年死去)⇒長右衛門(慶長7年死去)⇒四郎左衛門義智(寛永5年死去)⇒門右衛門親城(寛文2年死去)⇒傳兵衛(初代、天和2または3年死去)⇒傳兵衛(二代、享保15年死去)⇒傳兵衛勝成(三代、延享2年死去)⇒傳兵衛(四代、寛政6年死去)⇒傳兵衛(五代、天保7年死去)⇒傳兵衛(六代、天保14年正月死去)⇒傳兵衛(七代、明治18年死去)⇒傳兵衛(八代、亀吉、明治33年死去)⇒松太郎(昭和2年死去)⇒英八(昭和19年死去)⇒元衛(死去)⇒壽一(現当主)と続いている。 |
伝来 |
当館へ寄贈された。 |
数量 |
142 |
年代 |
寛文年間(1661~1673) ~ 大正元年(1912)10月 |
構造と内容 |
本文書群は、近世文書84点(全文書の59.2%)、近現代文書52点(同の36.6%)、年次不詳文書6点(同4.2%)、合計142点からなる。近世文書は、佐位郡香林村の村方文書である。▼内容について、中心は、香林村東部にあった「御林(おはやし)」と久保田家当主が代々務めた御林守・官林守及び年貢関係史料である。特に、御林関係の文書は、43点ある(絵図2点を除く、全文書の30.2%)。主なものに、覚(香林村御林守2人給米、享保16年、№64)、相極メ申一札之事(香林村御林立ち枯れ松木1本紛失に付、寛政8年、№75)、御林御條目之事(香林村御林に付、村小前一同連印議定一札、文化2年、№79)、などがある。官林については、№73、№76、№123、№136がある。▼絵図類は〔香林村絵図〕(№6)、〔天明5年香林村早川沿い田畑絵図〕(№91)、〔久保田家屋敷方位図〕(№92)などがある。№6は、延享4年(1747)4月の香林村の御林が描かれた村絵図で、北・新川村と南・伊勢崎を南北に結ぶ往還が、絵図中央部に描かれている。久保田家から北東方向に萱野(かやの)御林があったことがわかる。御林守(官林守)を務めた久保田家ならではの史料である。▼巡礼日記帳・道中記類として、「東海道 伊勢西国 順礼名所 覚控日記帳」(№10)、「越後出羽奥州道中記 羽黒山・月山・湯殿山・金華山」(№11)、「伊勢道中日記帳」(№13)などがある。いずれも出発から帰着まで宿泊地・巡礼地が日付などとともに記されている。久保田家の菩提寺である西久保・大光寺の伽藍焼失再建議定書(№44)、大光寺勝手向きに付(№55)、久保田家近くの花木観音堂修復に関する文書(№50)、などもある。▼版本類では、花鳥往来(№84)、回国縁起書(№85)、赤穂介石記(№86)、唐詩選和訓(№87)、中庸・論語(4冊)、敵討高田馬場(8冊)、忠臣蔵(2冊)、往来物(8冊)などがある。 |
検索手段 |
久保田壽一家文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
久保田元衛家文書(請求番号H80-5-1近世)等 |
利用上の留意点 |
「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は、本目録から除外した。 |