資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF0006 |
文書群名 |
碓氷郡松井田町 霧積温泉金湯館文書 |
伝存地 |
碓氷郡松井田町(現安中市) |
出所 |
安中市(旧松井田町) 霧積温泉金湯館 |
地名 |
碓氷郡坂本村/碓氷郡坂本町(明治22年~)/碓氷郡松井田町(昭和29年~)/安中市(平成18年~) |
旧支配 |
安中藩板倉領/安中県・群馬県(明治4年~)/熊谷県(明治6年~)/群馬県(明治9年~) |
歴史 |
明治16年に建てられた霧積温泉金湯館に伝わる文書である。霧積温泉は古くから「入の湯」または「犬の湯」と呼ばれ、湯治場として知られていた。安政年間には、安中藩によって宿泊施設などが設置されている。急速に開発が進むのは明治20年以降で、明治43年の大水害により温泉街のほとんどが流失してしまうまで、多くの人々で賑わった。明治時代の政財界・文人も来遊しており、伊藤博文、勝海舟、幸田露伴、徳富蘆花、川田順らが訪れている。なお、現在の霧積温泉は金湯館と霧積館が営業を続けている。 |
伝来 |
平成12年12月現在の金湯館経営者佐藤俊行氏より文書を借用する。金湯館にて撮影し、マイクロフィルムに複製する。なお、俊行氏は大水害後に金湯館を復興した佐藤氏の子孫である。 |
数量 |
14 |
年代 |
明治17年(1884)~昭和50年(1975) |
構造と内容 |
本文書の内容は、霧積温泉並びに金湯館の広告と来館者の写真及び著作物の表紙である。No.4「上野国碓氷温泉之全図」は当時の温泉街の様子を伝えている。またNo.5は金湯館の庭にある勝海舟の筆になる「ヨハネ伝四章十四節」を刻んだ碑の拓本である。 |
検索手段 |
碓氷郡松井田町霧積温泉金湯館文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |