資料区分 |
マイクロ |
請求番号 |
PF0202 |
文書群名 |
利根郡片品村松浦新一郎家文書 |
伝存地 |
利根郡片品村戸倉 |
出所 |
利根郡片品村 松浦新一郎家 |
地名 |
利根郡戸倉村/利根郡片品村戸倉*「上野国郡村誌」によると寛文2年(1662)土出村から分村したとある。 |
旧支配 |
沼田藩真田領/幕府領代官支配(天和元年) |
役職等 |
戸倉関所番所役人 |
歴史 |
江戸時代、沼田城下から会津郡檜枝岐村(福島県檜枝岐村)に通じる会津街道戸倉関所の番所役人を星野氏とともに代々勤めた松浦家に伝わる文書である。▼同関所は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに際して、会津の上杉景勝の関東進出を阻止するために創設されたとされる。▼本文書中の「覚」(№24)には、松浦氏は沼田領主真田氏改易後の天和2年7月より番所役人を代々勤めるとある。 |
伝来 |
平成14年8月、松浦新一郎家より古文書を借用する。文書館にて撮影し、マイクロフィルムに複製する。 |
数量 |
130 |
年代 |
元禄5年(1692)~昭和38年(1963) |
構造と内容 |
本文書の中心は、近世戸倉関所関係文書である。▼中でも、関所の通行改規定に関わる文書(№8ほか約30点)や病気や老衰などによる番所役人の交替に関する文書(№19ほか約10点)が多い。▼また、関所の修復関係の文書(№37ほか約10点)や関所番給米の請取の「覚」、裁許仕置や「御定法」など法令関係の文書(№2~5)も見られる。▼№9の「戸倉御関所諸色覚」は、貞享3年から享保7年までの関所の通行規定や関所の修復関係の記載がある。▼また、№7「御答書」は、関所掟や勤番人数などを記し、『群馬県史資料編12』にも取り上げられている。▼№62「御関所柵修復絵図」や№93「御関所柵木絵図」は、関所修復関係の史料であるが、そこからは当時の関所の建物の位置や敷地の規模などが伺え、「戸倉村字絵図」では関所周辺の様子がわかる。▼さらに、関所を通行する際に照合用として使われる印鑑や御留山・鷹巣山関係の文書、支配替の「申渡」などがある。▼他に、群馬県郷土資料展覧会関係資料など、昭和期の資料も数点含まれる。 |
検索手段 |
利根郡片品村松浦新一郎家文書目録、インターネット検索目録 |
関連資料 |
戸倉関所関係文書:星野市次家文書(FP0202)の「沼田城代記」(№1)。関連史料:星野市次家「沼田城代記」(№15)、後閑縫之助家文書(請求番号74-9-1)・「上州利根郡沼田城代記」(№85)、『群馬県史』資料編12など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など) |