資料区分 マイクロ
請求番号 PF0305
文書群名 吾妻郡嬬恋村黒岩タキ家文書
伝存地 吾妻郡嬬恋村
出所 吾妻郡嬬恋村 黒岩家
地名 吾妻郡大笹村/吾妻郡嬬恋村大笹
旧支配 武田氏(永禄年間)/真田伊豆守(天正17年)/幕府領(天和元年)/岩鼻県(明治元年)/群馬県(明治4年)/熊谷県(明治6年)/群馬県(明治9年)
役職等 吾妻郡大笹村(同郡田代村兼帯)名主、問屋、本陣
歴史 万治2年(1659)の沼田藩領分書上帳によると高146石余。寛文郷帳では田方3 石9斗余、畑方142石余。寛文3年(1663)の沼田藩領新検地控によると高665石余。貞享2年(1685)沼田藩領再検地控で178石余。明治10年頃の家数131軒、人数670人。村内には信州道と沓掛街道の往還が通る。信州道に大笹関所が設置され(寛文2年猿ヶ京関所に準拠)、沼田藩真田氏の在地家臣湯本氏ほかが関所番を勤めたが、真田氏改易後の天和2年(1682)幕府の代官支配となり、鎌原・西窪・栃原・加部(のち横谷に代わる)の4人が関所番を勤めた。大笹関所絵図(№503,504)有り。黒岩家は大笹村の名主役(田代村の名主を兼ねた時期もある。)と、大笹宿の問屋とを兼務した。本陣も経営していたようである。
伝来 平成15年9月黒岩タキ家より古文書を借用。文書館にて撮影し、マイクロフィルムに複製する。
数量 1026
年代 慶安3年(1650)~昭和3年(1928)
構造と内容 本文書は、①大笹村関係文書 ②黒岩家私的文書、に分類できる。①寛保2年(1742)の大笹村指出帳(明細帳、№1)や年貢割付や皆済などの村政関係文書のほかに、北信方面の大名方の飯米輸送や、大笹村から大戸関所方面村々からの荷物などの輸送に関わる訴訟文書がある。大笹関所の修復普請や関所前の刎橋の架替え願いに関する文書や、田代村の加沢湯(山の湯)の湯小屋増設に関する文書、万座山硫黄採掘や湯花稼ぎの文書など、交通・運輸・産業関係の文書がある。信州方面や近村の問屋などからの書状もある。天明3年(1783)の浅間焼けの被害状況や絵図、街道や橋の修復に関する文書などもある。②家業は酒屋を営んでいた(№499~501)。書簡などからは、わずかに親類関係の遣り取りが見られる。
検索手段 吾妻郡嬬恋村黒岩タキ家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 大笹関所関係文書:鎌原忠司家文書(FP9601)、栃原まつ江家文書(FP9903)、栃原仙次郎家文書(FP9904)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
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