資料区分 マイクロ
請求番号 PF811
文書群名 前橋藩松平家記録
伝存地 前橋市
出所 前橋市 前橋藩(川越藩)松平家
旧支配 越前勝山城(寛永元年~)・大野城(寛永12年~)/出羽山形(正保元年~)/播磨姫路(正保元年~)/越後村上(慶安2年~)/播磨姫路(寛文7年~)/豊後日田(天和2年~)/出羽山形(貞享3年~)/陸奥白川(元禄5年~)/播磨姫路(寛保元年~)/上野前橋(寛延2年~)/武蔵川越(明和4年~)/上野前橋(慶応3年~)
役職等 直基:従4位下、大和守、越前勝山・大野城主、出羽山形藩主、播磨姫路藩主▼直矩:従4位下、大和守、越後村上藩主、播磨姫路藩主、豊後日田藩主、出羽山形藩主、陸奥白川藩主▼基知:従4位下、和泉守、大和守、侍従、陸奥白川藩主▼明矩:従4位下、兵庫頭、土佐守、大和守、侍従、陸奥白川藩主、播磨姫路藩主▼朝矩:従4位、大和守、侍従、播磨姫路藩主、上野前橋藩主、武蔵川越藩主▼直恒:従4位下、大和守、侍従、武蔵川越藩主▼直温:従4位上、大和守、武蔵川越藩主▼斉典:従4位下、大和守、侍従、少将、武蔵川越藩主▼典則:従4位、武蔵川越藩主▼直侯:従4位下、大和守、侍従、武蔵川越藩主▼直克:従4位上、少将、大和守、侍従、武蔵川越藩主、上野前橋藩主、前橋藩知事▼直方:従5位、前橋藩知事
歴史 前橋藩最後の藩主松平家は、家康の次男結城秀康を祖とする越前松平家の一族であり、秀康の五男直基から始まる(松平大和守家)。▼寛延2年、姫路から前橋へ入封したのは、松平朝矩の代であった。以後、明治維新まで松平氏が前橋藩主であったが、前橋城の利根川による崩壊のため、明和4年藩庁を川越に移し、慶応3年に新たに前橋城が完成して藩主が帰城するまで、前橋は代官の支配下に置かれた。
伝来 前橋市立図書館で所蔵(昭和39年、前橋市指定重要文化財)。当館所蔵フィルムは埼玉県立文書館が撮影したフィルムをもとに複製したもので、本記録の利用頻度はマイクロ収集文書の中では最も高いものとなっている。
数量 400
構造と内容 本記録は、松平家の藩政史料として全国的にも有数のもので、本文書群のうち元禄11年(1698)から明治2年(1869)までの江戸藩邸や在封地(白河・姫路・前橋・川越など)、陣屋(前橋・相州・高輪)等における記録273冊は、一般に「松平藩日記」や「藩日記」と呼ばれている。▼ 内容は松平家の民政・財政・幕末の海防、さらには幕府及び藩の諸法令、家中や領民への諸令達など広範多様で、近世中期以降の領主側史料としては極めて貴重なものである。▼ほかに、幕末から明治10年代に至る「日記」・「日帳」、家臣の「給帳」、「御家中吉凶事寄」、「朝夕申継帳」、「御布告留」などの諸記録もある。群馬県指定重要文化財。
検索手段 前橋藩松平家記録目録、インターネット検索目録
関連資料 前橋藩分の翻刻として、「前橋藩松平家記録」40巻(前橋市立図書館刊行)。▼駒形義夫「『前橋松平藩日記』についての一考察」(『双文』第1号)、駒形義夫「『前橋藩松平家記録』(文書館所蔵複本)簿冊目録について」(『双文』第3号)、『前橋市史』第2巻、『群馬県史』資料編14など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
利用上の留意点 「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の取扱いに関する要綱」第5条(利用の制限)及び「群馬県立文書館における特定歴史公文書等以外の文書の閲覧制限基準」第2(非閲覧文書の指定事項)により閲覧が制限されている文書は本目録から除外した。
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