資料区分 マイクロ
請求番号 PF812
文書群名 高崎藩大河内家文書
伝存地 高崎市
出所 高崎市 高崎藩大河内家
旧支配 常陸土浦(天和2年~)/下総壬生(元禄5年~)/上野高崎(元禄8年~)/越後村上(宝永7年~)/上野高崎(享保2年~)
役職等 信興:従5位下、美濃守、常陸土浦藩主、大坂城代/輝貞:従4位、右京亮、侍従、右京亮、常陸土浦藩主、下野壬生藩主、上野高崎藩主、越後村上藩主/輝規:従5位、摂津守、因幡守、右京大夫、上野高崎藩主/輝高:従4位下、佐渡守、因幡守、右京大夫、大坂城代、上野高崎藩主/輝和:従4位下、美濃守、右京亮、上野高崎藩主/輝延:従4位下、美濃守、右京大夫、侍従、上野高崎藩主/輝承:従5位下、右京亮、上野高崎藩主/輝徳:従5位下、右京亮、上野高崎藩主/輝充:従5位下、右京亮、上野高崎藩主/輝聴:従5位下、右京亮、上野高崎藩主/輝聲:従5位下、右京亮、上野高崎藩主、高崎藩知事
歴史 大河内家は、摂津源氏の一族であり、室町時代には三河吉良氏に家老として仕えた。天正15年、秀綱の次男正綱が家康の命で長沢松平家庶流の松平正次の養子となったことが大河内松平家の始まりである。大河内松平家には大名家として3家が存在し、そのうち正綱の養子信綱の五男信興を祖とする家が高崎藩最後の藩主となった。大河内家は、高崎へ元禄8年(1695)と享保2年(1717)の前後2度にわたって入封し明治維新を迎えた。その治政は約170年間にも及び、歴代藩主の中では最も長いが、その反面、関係文書はわずかである。
伝来 本文書は、高崎市立図書館が所蔵(桐生市大河内利彦氏旧蔵)するものである。「無銘書」については、高崎藩政の基本史料として市指定重要文化財である。
数量 47
構造と内容 本マイクロ資料で収集した文書45点の半数以上が「無銘書」(別に「御家事向大概」ともいう)と呼ばれる大河内家とその藩政に関する記録である。元来全33冊と附録1冊から成るが、うち7冊は散逸した。このほか、収集文書には「異変取扱向書」5冊、元禄10年「陪従私記」3巻、「目附要書」上下2冊、享保4年「小備組合附録」3冊などの諸規定集があり、その一部は右史料集のなかの藩記録(大河内)1で翻刻されている。
検索手段 高崎藩大河内家文書目録、インターネット検索目録
関連資料 『高崎史料集』大河内家文書(無銘書1・2)など。(参考文献:『角川日本地名大辞典』10[群馬県]、『群馬県の地名』[日本歴史大系10]『上野国郡村誌』、『上野国郷帳集成』など)
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